門田 中国は昨年から4カ月以上も続けて、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域に海警局の船を侵入させるなど、ますます日本に圧力をかけ続けていますね。相変わらず「尖閣は中国領」だと言って憚らない。実にけしからん話です。
石井 門田さんはかつてノンフィクション『尖閣1945』(産経新聞出版)で、戦前からの尖閣諸島をめぐる日本人の物語を描かれましたね。素晴らしい感動作でした。映画も製作され、既にクランクアップして編集中とお聞きしているので、上映に期待しています。
私は長年、尖閣の研究をしてきましたが、さかのぼって江戸時代の前期、1660年の時点でオランダが、尖閣を日本領だと認めていたことを示す史料を見つけています。本日はその紹介をしたいと思うんです。
門田 それは素晴らしいです。ぜひお願いします。そのために石井さんとの対談をわざわざ編集部にセットしてもらいましたので。
石井 簡単に言うと、長崎・出島の公文書「オランダ商館日誌」(原文はオランダ語)などに、尖閣を日本領とする記述があったのです。1660年6月、台湾の東海岸沖を北上していたオランダ船「ハープ号」が濃霧で方向を失い、「トリシマ」に漂着遭難する事件がありました。
このトリシマは、当時の常識で見れば普通に尖閣の島の一つです。「オランダ商館日誌」にも、「トリシマ」は琉球に属し、日本が統治している、と書かれています。
日本側は漂着船の船員や貨物を発見・救助し、近くにある与那国島の島民が主な貨物を搬出、薩摩藩の船で長崎まで届け、長崎奉行から出島のオランダ屋敷に受け渡したことも確認できます。
門田 私はこの話を少し前に石井さんから聞いて、驚きました。これは尖閣が江戸時代から日本領だったという重要な証拠の一つですからね。しかも、拙著『尖閣1945』の中にも、尖閣諸島の一部が「鳥島(トリシマ)」と呼ばれていたことを私自身が書いているからです。
魚釣島から東に5キロの位置にあったのが「鳥島」です。これは小さな島2つで構成されていて、それぞれ北小島、南小島と呼ばれ、2つ合わせて「鳥島」と呼称されていました。
私が『尖閣1945』で描かせてもらった昭和20年夏の尖閣戦時遭難事件では、飢餓に苦しんだ漂流民は、この鳥島に海鳥を採りに向かい、魚釣島になかなか戻って来られない悲劇に遭います。鳥島はその名のとおり、無数の鳥が島を覆っていました。それはアホウドリだったそうです。
尖閣を開拓した実業家の古賀辰四郎も、このアホウドリの羽毛を採取することで事業の拡大をはかりました。尖閣戦時遭難事件の生き残りの手記にも「鳥島」のことが出てきます。昔から、「魚釣島」と、その5キロほど東にある「鳥島」は、区別されていたようですね。だから、石井さんの口から「トリシマ」という名が出てきて、驚きましたよ。
石井 オランダ商館日誌によると、トリシマで救助された水夫たちの治安は、日本側によって保たれたそうです。日本側の統治が行き届いていて船員が救助されたことで、このときオランダ側はトリシマが日本のものだと認識したようです。
江戸時代にオランダ船が漂着したのは…
門田 私としては「トリシマ=尖閣諸島」というのは間違いないと考えていますが、石井さんも同じですよね。
…
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門田隆将(かどた·りゅうしょう) 作家·ジャーナリスト。昭和33年生まれ。中央大学法学部卒業。新潮社に入り、「週刊新潮」デスクなどを歴任した後、平成20年に独立。『尖閣1945』(産経新聞出版)など著書多数。
石井望(いしゐ·のぞむ) 長崎純心大学准教授。昭和41年生まれ。京都大学文学部中国語学中国文学科卒業。蘇州大学中文系修士課程修了。京都大学同研究科博士課程学修退学。長崎大学総合科学大学講師などを経て現職。著書に『尖閣反駁マニュアル百題』(自然食通信社)など。







