9月の自民党総裁選をみていて、政治家に求められる資質とは何かを考えさせられた。日本を引っ張っていくリーダー候補たちであるはずなのに「百年の計」や「夢」を語らず、焦点が「政治と金」なのだから悲しくなる。
清く、正しく、美しくても、何も為(な)せないのであれば話にならない。誤解されるのを覚悟でいえば、国民が笑顔で幸せに暮らせる世の中をつくってくれるのであれば、少々荒っぽいことをしてもらっても構わないと思う。日本にもかつて、そんな政治家はいた。
田中角栄元首相は金権政治の権化のようにいわれた。権力を握るために金も利用したのだろうが、私腹を肥やした印象はあまりない。「日本列島改造論」に代表される百年の計も示した。賛否や好悪はあっても、たくましい行動力を懐かしく思う人も多いのではないか。
政治と金の問題が、日本の未来を左右する巨悪とはとても思えない。少子高齢化や人口減少、人工知能(AI)が人類の知能を超えるシンギュラリティー(技術的特異点)といった歴史的転換点の前では、ちっぽけに感じる。
また、政治家は「豹変(ひょうへん)」できなくてはならない。総裁選の決選投票で石破茂氏に敗れた高市早苗氏は、首相就任後の靖国神社参拝継続を明言していた。私人として戦没者に感謝と哀悼の意を示す信念を貫くのはいい。ただ、首相が最優先に考えなければいけないのは国益だ。
