2006年11月29日付の産経新聞に掲載した連載「わたしの失敗」のアーカイブ記事です。肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま。
宝石業界から転身も貯金がゼロに
眠くて眠くて、しようがない。「劇団東京乾電池」のころ。正午から午後6時まで、劇団のけいこ。終わるとすぐ、午後7時から午前5時まで工事現場で働いた。
「午前6時に寝て11時には家を出るという生活の繰り返しだから、とにかく眠い。キツイとか言う前に眠かった。そうすると、アイデア劇団でやっているのに、だんだんアイデアも出なくなるのよね。舞台に対する焦りはあったね。円形脱毛症になったりもしたしね」
イッセー尾形らとの劇団が解散になった後、生活のために入社した宝石会社での仕事は順調だった。デザインを担当し、最終的には30人の部下を持つまでになった。「金の値段も高騰していたし、宝石業界が元気な時期だったんだよね」
貯金もでき、マンションでも購入しようかと思っていたある日。下請けのチャーミングな女性社員を飲みに誘い、繰り出した焼鳥屋でばったり、かつて「自由劇場」で同じ研究生だった柄本明とベンガルに出会う。
