東日本大震災10年

 娘はずっと越喜来にいる 瀬尾佳苗さん(当時20)の両親 真治さんと裕美さん

【東日本大震災10年】 娘はずっと越喜来にいる 瀬尾佳苗さん(当時20)の両親 真治さんと裕美さん
【東日本大震災10年】 娘はずっと越喜来にいる 瀬尾佳苗さん(当時20)の両親 真治さんと裕美さん
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晴れやかな空のような、穏やかな海のような、ターコイズブルーのピアス。あの地震から3カ月後、娘が暮らしていたアパートの跡地に山積されたがれきのなかから見つけた。見覚えのある緑色の缶に、大切そうに入っていた。

母からのプレゼントだった。「ターコイズが好きだったから。あの状況でこんな小さいものが見つかるなんて、奇跡だよね」

東日本大震災から10年。手に取ってみる。変わらない青さ。両親は海の向こう、津波にさらわれた佳苗さん=当時(20)=を想う。

サンショウウオ、ヘビ、カメレオン…。女の子なら逃げだしそうな生き物がペットだった。休日には父の瀬尾真治さん(66)と爬虫(はちゅう)類ショップで目を輝かせた。

佳苗さんが北里大学海洋生命科学部を選んだのは自然な流れだろう。大学では「水族館の学芸員になりたい」という夢もできた。夢を紡いだ大学は岩手県大船渡(おおふなと)市三陸町越喜来にあった。

「越喜来」。「おきらい」と読む。地元では「おっきらい」とも。由来には「越鬼来」「鬼喜来」といった説がある。坂上田村麻呂が鬼討伐で来たからか、鬼がこの地で暴れたからか、それとも鬼が喜んで訪れたからか。越喜来の海は喜びと鬼を抱え込む。

2年生だった平成23年3月11日。震災が起きた。大学は春休みだったが、佳苗さんは東京の実家に帰らず越喜来にとどまっていた。

震災1カ月前。帰省した佳苗さんはこう言い残し、越喜来に帰っていった。

「私はこの家には戻らないから、この部屋を使っていいよ」

東京で就職してほしい。そう願う母の裕美さん(62)にはちょっと寂しい言葉だった。でも成長かもしれない。