勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(156)

野村一家の反発 「監督のいない南海に未練はない」

「野村監督のいない南海に未練はない」と引退を宣言した江夏(左)
「野村監督のいない南海に未練はない」と引退を宣言した江夏(左)

■勇者の物語(155)

「野村監督、解任」を各紙が報じた翌9月26日、真っ先に球団へ〝反旗〟を翻したのが江夏豊だった。

「監督のいないチームに未練はない。オレは引退する」と宣言したのである。雨で中止となった日本ハムとの最終戦、後楽園球場で記者団に囲まれた江夏はこう語った。

「阪神を追い出されたオレを拾ってくれたのは南海や。だから人間として不義理はしたくないし、恩をあだで返すようなことはできない。けれど、一度ダメと烙印(らくいん)を押されたオレをここまで働けるようにしてくれたのは野村監督や。その監督が辞める以上、オレもとどまるわけにはいかんやろ」

当時、江夏の住まいは大阪府豊中市刀根山にある野村監督の隣のマンション。家族ぐるみの交際をしていた。野村は「お前は残れ」と江夏を説得した。だが、江夏は聞こうとしなかった。

「いくら言ってもダメだった。まぁ、アイツも〝野村一家〟と見られとるし、残っても可哀そうや」

江夏に続いて柏原純一も「引退」と言い出した。当時、柏原は入団7年目の25歳。2年連続で2桁ホーマーを放ち、ようやく「一塁」の定位置を取ったばかり。なぜ若い柏原が…。真相はこうだ。

「実は当時、野村監督のマンションに〝居候〟して野球を教えてもらっていたんだよ。沙知代夫人にもお世話になっていたし、そんな状況で残れるわけがない。だから、ぼくも引退しようと思ったんだ」

野村体制でヘッドコーチを務めたブレイザーも〝野村一家〟の一員。野村は「君の野球理論は今後もチームに必要だ。オレの代わりに監督をやれ」と勧めたが、ブレイザーは「NO!」と顔を真っ赤にして怒ったという。

「ボクとしては野村が現役兼監督でやっている間はずっと残るつもりでいた。しかし、彼が辞める以上、日本にいる必要はなにもない」

熱い心を持った男たちである。この騒動で南海を去ったのは打撃コーチの高畠康真を含めて5人。江夏は広島、柏原は日本ハムへ移籍。高畠は野村とともにロッテに入団。ブレイザーは広島・古葉竹識監督に請われてヘッドコーチに就任した。(敬称略)

■勇者の物語(157)