日本初の本格的レーシングコースとして昭和37(1962)年に開業した鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)。60年近い歴史をひもといていくと、ホンダの創業期の躍進を卓抜した経営能力で支えた故藤沢武夫氏の名前が頻繁に出てくる。サーキットの経営を軌道に乗せ、安全なクルマ社会をつくるためにアイデアをひねり出した藤沢氏の思いは現代にも息づいている。
(服部幸一)
ディズニーランドがお手本
「鈴鹿に動のディズニーランドをつくる」
ホンダを創業した故本田宗一郎氏を経営面で支えた藤沢氏は、日本にまだ東京ディズニーランドが開業していないころ、テーマパークの言葉も根付いていない時代に、米西海岸にあるディズニーランドを手本にした遊園地の併設を思いついた。
サーキットでレースが開催されるのは基本的に週末のみ。となれば施設の稼働は年間せいぜい数十日にとどまり黒字運営はできない。「藤沢はサーキットの経営を安定させるために年中人を集められる遊園地が必要と考えたようです」と、鈴鹿サーキットを運営するモビリティランド広報・宣伝課の原口経史さんは教えてくれた。
遊園地はサーキットの開業から間もない昭和38年1月に「自動車遊園地」として開業。来場者に乗り物を操る喜びを知ってもらうため、遊具の多くに「自分で操縦する」要素を備えることにした。当時はゴーカートや水陸両用車などの乗り物が人気だったという。
ただ、藤沢氏は遊園地を単に収益源としてみていたのではない。子供たちがモータースポーツに触れ、楽しめるきっかけの場としてほしかったはずだ。
「藤沢は、子供たちに運転技術やマナーの向上を目指す気持ちを育んでもらい、ゆくゆくはモータースポーツに興味を持ってもらいたいと構想していたとも伝わります」と原口さんは話す。
藤沢武夫の理想今も
高さ数十センチの電動ミニバイクをまたいでようやく足が地面に着くかどうかという幼い子供がカーブをきれいに曲がっていった。




