それほど米国の先制攻撃の可能性に脅威を感じている裏返しともいえ、トランプ政権の出方を読み切れない戸惑いもにじむ。
北朝鮮はかつて米国からの攻撃の危機にさらされたことがある。南北軍事境界線の板門店(パンムンジョム)で1976年8月、ポプラの木を勝手に伐採しようとした米将校2人を北朝鮮兵がおので殺害した「ポプラ事件」をめぐってだ。
米軍は、戦略爆撃機や朝鮮半島沖に空母ミッドウェイを展開する臨戦態勢を取って伐採をやり遂げる。金日成(キム・イルソン)主席は米側に「遺憾の意」を伝達。北朝鮮の完敗だった。「米国民の生命が脅かされれば、米国は軍事行動を辞さない」。これが北朝鮮が肝に銘じた教訓だったといわれる。
83年の韓国大統領を狙ったラングーン(現ヤンゴン)爆弾テロや87年の大韓航空機爆破事件など多数の韓国人が犠牲になったテロでは、米国の軍事制裁対象にならなかった。2010年の韓国哨戒艦撃沈事件でも米空母を韓国との演習に派遣する示威にとどまっている。オバマ政権時代、「戦略的忍耐」との放置政策の下、金正恩政権の度重なる核・ミサイル実験は事実上、野放しにされた。



