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【主張】平成の政治 脱ポピュリズム政治を 理念と政策で再結集が必要だ

 平成時代の政界が30年かけてできなかったのが、政権交代可能な二大政党制だった。それを妨げたのは国際社会を席巻している理念なきポピュリズム政治である。

 平成初期には、非自民8党派による細川護煕政権が誕生し、自社二大政党による55年体制が崩壊した。21年には鳩山由紀夫元代表が率いる民主党が政権をとり、疑似二大政党制となった。これも長くは続かず18人の首相が入れ替わった。行き着いた先は安倍晋三政権による1強多弱の世界だった。

 大衆受けを狙ったポピュリズム政治という安易な手法はひと足早く、平成時代のわが国を静かに蝕(むしば)んでいたのである。

 ≪シングルイシューの愚≫

 その最たるものが、平成13年に政権についた小泉純一郎政権である。「自民党をぶっ壊す」と言って党総裁選を勝ち抜いた。小泉劇場の始まりだ。郵政民営化の是非を問うというシングルイシューによる選挙は、国民が第2幕、第3幕を見たくなるよう政治への関心を高めた効果はあろう。テレビのワイドショーは連日、小泉純一郎首相を追いかけた。小泉氏は本来なら味方であるはずの党内に抵抗勢力という悪役をつくり、彼らを退治する水戸黄門を演じた。

 参院で否決されたのに、衆院を解散する。政治のプロを自任する永田町界隈の多くが驚いた。郵政民営化法案に反対する議員の選挙区に、賛成派の刺客を放った。

 地盤、看板、鞄という三種の神器を持たない多くの議員が続々と当選した。小泉チルドレンという造語が生まれた。候補者本人の公約や人柄というより風に乗って当選し、政界から消えた議員も少なくない。シングルイシューで有権者受けを狙ったポピュリズム政治のなれの果てである。

 ただ、国民世論の高い支持を背景とした小泉氏は、族議員と呼ばれる特定分野の専門家集団が支配してきた既得権益に、大胆に斬り込んだ点は評価できよう。

 調整や妥協という旧来の自民党が得意とする政治手法は、国民の目に見えにくく、時間と金がかかるとの批判がつきまとった。小泉氏はこの手順を飛ばし、意見の異なる者に対し、徹底的に不寛容な姿勢を貫いた。与野党が調整を図る場で、衆参両院の非公式組織である国会対策委員会という政治のインフラを機能不全にした。

 この結果、双方が国会の委員会というオープンな場で、むき出しの力を争うようになった。政治の見える化である。これもまた、平成中期以降の特徴であろう。

 小泉氏の後を継いだ安倍晋三首相は、郵政造反組の復党や消えた年金問題などが理由で、平成19年の参院選で大敗した。第1党の座を小沢一郎元代表が党首を務める民主党に譲った。自民党結党以来初めての歴史的敗北だった。

 ≪「ねじれ」が停滞招いた≫

 衆参両院で第1党が異なる「ねじれ」による決められない政治の始まりだ。民主党の審議拒否で海上自衛隊のインド洋給油活動を認めたテロ特別措置法が期限切れとなり、国際貢献に穴が開いたこともあった。混乱の極みである。

 衆参のねじれは、だれもが経験したことのない破壊力を見せつけた。安倍、福田康夫、麻生太郎の各政権は短命で終わった。平成21年に政権を奪取する民主党も翌年の参院選で大敗し「ねじれ」に泣かされる。むろん、決められない政治で一番泣かされたのは、国民であることは言うまでもない。

 この間、良くも悪くも政界の中心にいたのが小沢氏だった。民主党政権下では世界一を狙うスーパーコンピューターをめぐり、所属議員が「2位では駄目なのか」と発言した。民主党による事業仕分けも、パフォーマンス優先の典型的なポピュリズム政治に堕していたといえよう。

 3年余りの民主党政権を経て与党に復帰した安倍政権は国政選挙で連勝した。集団的自衛権の限定的な行使容認を含む安全保障関連法を制定するなど、個別の法案レベルで、決められない政治から脱却したところまでは良かろう。

 残念なのは、平成最終盤で見せた何でもありの姿勢だ。

 選挙に勝てば良いとばかり、さきの大阪府知事・市長選のように立憲民主党や共産党など、国政の場で激しく対立する政党との共闘をためらわなかった。

 与野党とも、政党政治の原点に立ち返り、理念と政策を軸にした勢力の再結集を求めたい。

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