《和光高校に入学後、中学時代とは雰囲気がすっかり変わった学校に興味を失った田辺さん。そんなとき、小学校時代に所属していた劇団「こまどり」の知人から声がかかった》
その知人が不思議なことを言ってきたんです。「ヤッチン(田辺さん)、今度『野獣会』っていうのを始めるんだけど来ない?」と。「野獣会って何ですか?」となりますよね。聞いてみると、デザイナーとか、役者とか、アーティストとか、そういう何かになりたいという、よくいえば「志」を持った10代の少年少女が集まっていっしょに活動するグループなのだという。
ただ野獣会というネーミングや赤坂や六本木がホームグラウンドだったこともあって、活動を始めたころは不良少年、少女の集まりみたいに思われていたんですよ。昭和30年代後半で、赤坂や六本木には不良外国人のたまり場みたいなお店もありましたし。まあそういう面もなきにしもあらずでしたけど、本質的には夢に向かって突き進むティーンエージャーの集団だったんです。
その知人に連れていってもらったのが、野獣会の事務所だという四谷警察署の近くにあったアパートの一室。その後、高校の授業が終わるとその事務所でメンバーたちと落ち合い、夜な夜なみんなで繰り出すようになっていったのです。
《ナゾの女性がリーダーだった》
リーダーは秋本まさみさんという女性で、女優もやりながら小説も書くという多才な活躍をされた方です。彼女はプロデューサー的な能力もあったんですよ。たとえば「空中ドドンパ大会」。東京タワーの展望台を借り切って、当時流行していたドドンパダンスの大会を開き、一般の人たちを集めるイベントをやろう、となったのですが、秋本さんは雑誌のグラビアとして売り込んでタイアップさせ、掲載してもらったんです。多くの人が集まる魅力的なイベントを生み出すのが得意な方でした。
秋本さんは僕よりいくつか上の方で、なんとかこの野獣会を世の中に売り出していこうとされていましたね。立ち上げのメンバーは10人ほどだったのですが、そのころの写真を見ると、みんな目がギラギラしていてね、「さあ、これからだ」って。ばらばらだった高校と違い、野獣会は自由で野心に満ちあふれていました。
《後にともに芸能界で活躍する盟友たちと知り合う》
2つ上に俳優になった峰岸徹さんがいました。彼の実家は確か銀座か日本橋浜町で料亭をやっていて、いわば良家の息子でね。仲間内では「トン」と呼ばれていました。彼はモテてね。また1学年下には「ザ・スパイダース」のメンバーからタレントになった井上順もいて。順坊の実家は渋谷の代々木公園近くで馬場を経営していて、確かお父さんが獣医師だったんじゃないかな。順坊は今と一緒で明るくて、ムードメーカーみたいな存在でした。
四谷の事務所の隣には小さな公園があって、そこである夜、ギターを弾いて順坊たちと歌を歌ったりしていたんです。そうしたらアパートの大家さんの女性が飛んできて、「うるさくてしようがない!」と一喝された後、「ちったあ寝かしてくださいよ」って続けてきた。それからなぜか、「ちったあ寝かしてくださいよ」って、仲間の中で大流行になっちゃって。
レストランで食事中に誰かが話し始めたら「ちったあ寝かしてくださいよ」、道路で踊り始めたメンバーにも「ちったあ寝かしてくださいよ」って。あれ、なんでツボにはまったのかな。(聞き手 大野正利)




