立憲民主党の幹事長に起用された小川淳也元政調会長(53)=衆院香川1区=は、ドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』(令和2年公開)の主役に取り上げられるなど、一部では立民の次代のリーダー候補と目される。50歳を過ぎてからは「引き際を、どこか死に場所を探している」と語るなど独特の〝熱っぽさ〟で知られる一方、軽はずみな行動で物議を醸すことがある。
高松のパーマ屋の息子
小川氏は元総務官僚で、実家は高松市の美容院。「地盤、看板、カバン(金)」と無縁のたたき上げの政治家だ。民進党時代は前原誠司氏(現・教育無償化を実現する会代表)の〝弟分〟を自任し、前原氏が平成29年9月の党代表選に出馬した際、出陣式で小川氏は祝電を代読しながら感極まって涙を流していた。
小川氏の特徴の一つが「ときどき何を言っているのか分からない」(立民の逢坂誠二氏)と指摘される独特な「小川節」だ。
令和3年11月の代表選に出馬した際は「天にも昇り、地もはう」政治を掲げ、「国民がほれぼれするような批判こそ野党」「火中の栗ではなく、火口の溶岩を拾う」といった印象的なフレーズを残している。
「体の半分は大串博志だ」
代表選出馬に当たって推薦人20人の確保は難航したが、同じく推薦人集めに苦労していた同期の大串博志選対委員長と「共闘」を確認。告示前夜に2人で記者会見に臨み、「私の体の半分は大串博志だ」と述べて、自身が立候補する考えを表明した。
小川氏は代表選で長期的に消費税率の引き上げにチャレンジする考えなども示したが、泉健太前代表に敗れた。泉氏は「ノーサイド」を掲げ、対立候補だった小川氏を政調会長に起用する。ただ、4年7月の参院選で立民が議席を減らしたことで、小川氏は「人心の一新を図るべきだ」と泉氏を除く執行部の刷新を要求、自身も政調会長を退いた。
このころから周囲に「蟄居だ」「俺は座敷牢だ」と自虐的に語るようになる。
他党に異例の直談判も
そんな愚直な小川氏が人一倍情熱を注ぐのが選挙区での勝利だ。平成15年以来、香川1区で計7回衆院選に臨み、自民党の平井卓也元デジタル相を相手に2勝5敗と負け越している。
1勝は前回の令和3年10月の衆院選。同年6月の国会閉会後から地元に張り付き、家族ぐるみで街頭に立っては「青空集会」を重ねて人々の思いを聞き取った。
思いが高ぶったのか。衆院選を控えた同年10月11日、小川氏は日本維新の会の控室に〝乱入〟し、馬場伸幸幹事長(当時)に対し、香川1区で競合する維新候補予定者の取り下げを訴えた。馬場氏の腕をつかんで、「なんとか香川1区、調整してくれないかということでお願いにきた」と語ったという。
なるかノーサイド
前代未聞の行為は永田町で話題を集める。維新の音喜多駿政調会長は自身の動画で「行動力や必死さは一目置きたい」と評しつつ、「情で訴えられても、応じられない。政策理念が違う所とはガチンコで戦って、有権者の選択肢になることこそが民主主義社会で正しい」と苦言を呈した。小川氏もその後、「総じていうと私の軽さ。反省している」と釈明した。
今回の代表選の直前、小川氏は所属していたリベラル系の党内グループ「サンクチュアリ」を退会。サンクチュアリは代表選で枝野幸男元代表を支援したが、小川氏は野田佳彦代表の支援を決めた。
今後、小川氏は幹事長として党内融和に手腕が問われそうだ。(奥原慎平)





