産経新聞の前身、南大阪新聞を前田久吉が創刊した大正11(1922)年は大阪の工業、商業、文化が発展し、後の大阪の成長につながる基盤がつくられた時期と重なる。生活の文明化が進み都市は東京をしのぐ規模に成長、演芸文化も花開いた。100年前の大阪にさかのぼり、発展の源流を探ってみたい。
「帽子は飛ぶ、万歳の声は辺りを動揺…」(大阪毎日新聞)
大正11年12月11日正午前。大阪駅に詰めかけた人々は、ある人物の到着を熱烈に歓迎した。降り立ったのは「相対性理論」を唱えた20世紀最高の物理学者、アルベルト・アインシュタイン。出迎えは、池上四郎大阪市長や大阪医科大(大阪大医学部の前身)の学生ら千人以上にのぼった。
来日は出版社の「改造社」が企画。43日間にわたる滞在日程で、アインシュタインは11月、妻のエルザとともに神戸港に到着後、東京や仙台、京都などを巡って大阪に入ったのだ。
中之島の中央公会堂で開かれた講演会(入場料・大人3円)でも熱気は続く。最先端の物理理論の講演に訪れた聴衆は約2千人。定刻前から続々と人が集まった。
通訳を務めた物理学者、石原純は「アインシュタイン講演録 日本を訪れた科学の巨匠」(東京図書)でそれまでの講演会とは変わり「大阪ではむしろ通俗的な言い表わし方を多く用いられた(略)」と記す。

