昭和36年8月1日、大阪市西成(にしなり)区のあいりん(通称・釜ケ崎)地区で日雇い労働者を中心とした西成暴動が発生した。放火や投石を伴い、暴徒は5千人にのぼった。地区は日雇い労働者が仕事を求め集う日本最大の「寄せ場」で、暴動は平成20年の第24次まで断続的に発生した。そして、その後10年以上、暴動は起こっていない。発生から60年を機に、暴動が長く続いた意味と、その後の消失が示唆する先を考えてみた。
最初の暴動の引き金は日雇い労働者が犠牲になった交通死亡事故だった。派出所の打ちこわし、西成署だけでなく電車やタクシーへの投石などにエスカレートした。これ以降、暴動は昭和50年ごろまで数年ごとに起こる。当時、労働者の待遇や生活環境は劣悪で、正当に扱われない怒りが噴出したといわれている。
暴動の頻度が下がる平成以降は、あいりん地区の、日雇い労働者を集めて仕事を分配する「寄せ場」機能が縮小し始める。バブル崩壊と阪神大震災の復興需要減少で運輸、土木建築関連労働が減少。さらに求人誌やネットなど求人方法の多様化で、若年層の労働者が地区から減っていき、従来の労働力は高齢化した。
