勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(201)

西武ライオンズ誕生 オーナー怒り 九州からプロが消えた

球団譲渡成立。握手を交わす西武・堤オーナー(左)とクラウン・中村オーナー=昭和53年10月
球団譲渡成立。握手を交わす西武・堤オーナー(左)とクラウン・中村オーナー=昭和53年10月

■勇者の物語(200)

昭和53年10月12日、もう一つの〝歯車〟が動き始めた。東京・九段のグランドパレスで行われたプロ野球オーナー会議で「西武ライオンズ」の加入が正式に承認された。譲渡金は約10億円。本拠地は埼玉・所沢。西武の堤義明社長とクラウンライターの中村長芳オーナーは笑顔で握手を交わした。それは29年間続いた九州からプロ野球の球団が消えた瞬間だった。

なぜ、そんな悲しいことが起こったのだろう-。47年に「西鉄」から「太平洋クラブ」へ。52年に「クラウンライター」となったライオンズ。経営権を福岡野球株式会社が持ち〝命名権〟を年間1億円で売っていた。

53年、再契約の下交渉が行われた。球団は年間5千万円のスポンサー料値上げを申し出た。これに対しクラウン側は

①中村オーナーが持つ球団株のすべてを譲り受ける

②球団にクラウン側からの役員を派遣する-の2条件を突きつけた。

かつて経営難に陥っていた西鉄を救うため、スポンサー探しに奔走したのは当時、ロッテのオーナーだった中村。その働きにより、九州に球団が残りパ・リーグ崩壊の危機も救われた。だが、中村と地元福岡との関係はけっして良好とは言えなかった。「オレを福岡から追い出す気か。それなら…」。クラウンの要求を突っぱねた中村オーナーは新たなスポンサーを探した。

プロ野球界進出に意欲を燃やしていた西武の堤社長とは以前から親交があり、米大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツの買収を持ち掛けたこともあった。話はとんとん拍子に、そして極秘裏に進んだ。

これまでも何度かライオンズの経営危機の噂は流れた。それでも地元九州の財界は「まさか九州からは出ないだろう」と安心していた。それだけに本拠地の移転はショッキングなニュースだった。

「すっきりとライオンズを引き受けられるだけの力が地元資本になかった。残念だ」と九州電力の瓦林潔会長(当時)。そして福岡玉屋デパートの田中丸善司社長も「そこまで事態が進んでいたとは知らなかった。完全に地元側の対策の立ち遅れだ」と悔やんだ。

「西武ライオンズ」誕生-。多くの人の運命が動き出した。(敬称略)

■勇者の物語(202)