阪急とヤクルトの日本シリーズは「因縁の対決」といわれた。
昭和37年、25歳から広島のコーチを務めていた上田は、43年に監督に就任した根本陸夫とチーム強化の方針で意見が合わず44年に退団。その上田と入れ違いに根本の〝後継者〟として招聘(しょうへい)されたのが広岡である。
阪急とヤクルトの日本シリーズは「因縁の対決」といわれた。
昭和37年、25歳から広島のコーチを務めていた上田は、43年に監督に就任した根本陸夫とチーム強化の方針で意見が合わず44年に退団。その上田と入れ違いに根本の〝後継者〟として招聘(しょうへい)されたのが広岡である。