■史実が語る信頼への疑問符
ロシア連邦の国旗は1991(平成3)年、「帝政ロシア旗」を復活させたスラブ3原色《白、青、赤》の三色旗です。日本人には《赤地に鎌と槌、星》が描かれた旧ソビエト連邦の方が強烈な印象があるように思います。ソ連の国旗を見ると、私は、30年ほど前に伺った、満州から引き揚げてきた女性の体験談を思い起こします。
駆け出しの教師だった私は、交通事故にあった妻に付き添い搬送された館林の病院の病室で女性と会いました。脳神経を冒された娘さんの看病をしておられたのですが、6人部屋で患者は妻と娘さんの2人だけ。付き添い同士、同病相憐れむように会話が始まり、思いもよらぬ戦争末期の体験談を伺いました。
当時、女性は日本が統治していた中国東北部の満州国に満蒙開拓団として家族ぐるみで移り住んでいたそうです。終戦の年の夏、農作業をしていると「ソ連兵が襲ってくるぞ、すぐ逃げろ」という急な知らせ。訳が分からない中、家に戻って貴重品などをリュックに詰め込み、それこそ着の身着のまま、開拓団の責任者の指示に従い、近所の人と逃げたといいます。
集団で歩いていると、道の横から突然、待ち伏せしていたソ連兵が飛び出してきた。およそ数百人。彼らは鎌を手に、逃げる日本人を追いかけ回し、鎌を振り下ろして背負っていたリュックを切断し中身を強奪したそうです。リュックもろとも背中を切られ着ていたシャツを真っ赤に染めた日本人もいて恐怖と驚愕(きょうがく)で身動きできず、反抗すれば命を奪われると、なすがままに従ったとのことです。
その後、それでも集団で何日も歩き続けて港にたどり着き、「船で日本に帰ることができたのです」。つらそうに、ときには涙を浮かべる女性の表情を、忘れることはできません。
当時、満州警護にあたっていた関東軍の精鋭部隊は南方戦線に送られ、手薄になった防備を見透かすようにソ連は1945(昭和20)年8月8日、日ソ中立条約を一方的に破って宣戦布告、満州などに侵攻しました。逃げる途上、8万人以上の開拓団の人々が亡くなられたことを学んでいた私は、この方の涙の意味を察しつつ、静かに耳を傾けるしかありませんでした。
戦後、テレビなどでソ連の国旗を見ると、旗の鎌と赤地から「ソ連兵が手にした鎌とシャツを染めた血の色を思い出し、恐怖心がよみがえってくる」。女性は何度も私に言いました。
条約破りと武力侵攻。戦後、国旗は変わってもソ連、ロシアに関する日本人のイメージは、この女性と通じるものがあるように思います。旧チェコスロバキアの民主化を弾圧した「プラハの春」などソ連による数々の侵攻、ロシアになってもクリミアを武力で併合しています。
さて、今月15日、安倍首相は地元の山口県長門市で、ロシアのプーチン大統領と北方領土問題と経済協力について、首脳会談を行う予定です。
北方領土は4島一括返還が原則で、2島引き渡しは論外でしょう。シベリア開発などの共同経済活動にしても、領土問題を交渉カードにロシアを利するだけになってはなりません。何より、この国を信頼してよいのかどうか。疑問に思うのは私だけではないでしょう。
ロシアの国旗が表す「高貴と率直さ」の白、「名誉と純血」の青、「愛と勇気」の赤という本義が発揮されんことを願うのは、もちろんですが、ここは、やはり日ソ、日露の歴史に横たわる史実の詳細を学ぶべき時だと強く思います。(石田成人・東京未来大非常勤講師)



