江戸時代に土産物などとして人気を集めた甲賀市水口町の伝統工芸品「水口細工」の再興に、住民らが取り組んでいる。昭和45年に製造が途絶えて以降、分からなくなってしまった作り方や材料などを、有志でつくる研究会が突き止めた。メンバーたちは、かつて行われていたとされる「伊勢神宮への献上」が再び実現できるよう、製造技術の向上に努めている。
水口細工は、江戸時代の水口藩(今の同町)で、ツヅラフジのつるを編んで製作されていた籠や笠などの工芸品を指す。主に下級武士が内職として手がけ、製品の軽さや編み目の美しさが受け、東海道の宿場町・水口宿の土産物として人気を呼んだ。
また、1873(明治6)年のウィーン万博に水口細工が出品されると海外へも広まり、輸出産業に発展。大正4年と昭和3年の大嘗祭(だいじょうさい)、また、28年に営まれた伊勢神宮・式年遷宮の際には、いずれも献上品となった。
戦後は、ツヅラフジだけでなくヒノキも材料として使われた。だが、手間がかかる割に低賃金だったことなどから、高度経済成長期に水口周辺にも工場進出が相次ぐと職人はそちらへ流出。唯一残った職人が45年に亡くなると、製造が途絶えてしまった。
しかし、平成12年に地元の公民館活動の中で、水口細工が研究テーマとして浮上。これを機に、有志らが「輸出産業でもあった地元の誇るべき伝統工芸を未来に残そう」と、水口細工復興研究会を平成12年に設立した。
メンバーは、当時、作り方や材料などが分からなくなってしまっていたため、その解明に奔走。残されていた製品を分析したり、文献の記述をたどったり、職人の遺族に聞き取りをしたりした結果、21年までにこれらを突き止めることに成功した。
橋本黄市会長(80)は「文献に描かれていた絵から、材料がアオツヅラフジだったと特定に至るまで長い年月を要した」などと振り返る。
メンバーらは現在、月に2回集まって先人が残した製品を見本にして、製作技術の習得に努めている。橋本会長は「消えてしまった地元の伝統工芸を、何とか復活できた。次は、昭和28年を最後に途絶えてしまった伊勢神宮・式年遷宮の際の献上を再開できるよう、技術を向上させていきたい」と意気込んでいる。



