塵(ちり)に継ぐ、という言葉がある。辞書には、先人の歩んだ後に立つ塵に続く意、遺業を継ぐとある。「正論」メンバーに選ばれて頭に浮かんだのがこの言葉だった。
私の亡父である不二は、多年にわたり本欄への寄稿者だった。8年前に急逝したとき、書斎の机には書きかけの「正論」の原稿があった。ほどなく私がその机の主になったとき、原稿にうっすらと積もっていた塵の色が思い出される。父が最後に立っていた舞台の塵を引き継ぎ、勇気ある言論人たらんと決意している。
評価したい首相の覚悟ある決断
その第一歩として、私は安倍晋三首相が掲げる「積極的平和主義」が、依然、道半ばだということを訴えたい。
日本が国際社会で存在感を高めるためには、軍事力中心主義を引き続き排除しつつも、世界の平和と安全に関してより大きな責任を担っていかなければならない。こうした考えは、安倍首相のオリジナルではない。湾岸戦争への日本の対応が、金しか出さない「小切手外交」だと批判された衝撃により、外交・安全保障専門家にはそのような考えが広がっていたし、政策面でも、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)への参加拡大など、その方向への変化も起こり始めていた。
だが、日本の平和主義を積極化する必要性について正面から語ろうとした政治指導者は、安倍首相が初めてだった。国民の間に根強く残る安全保障アレルギーを考えたとき、それはどれほどの覚悟を要する決断だっただろうか。
だが、その首相にして、国民に十分な語りかけができていない点が一つだけ残っているのではないかと思う。それは、平和のための軍事力の役割についての説明だ。
日本人に欠ける「使う」意思
戦後日本の平和主義には、実は、2種類の消極性が内在していた。「平和のために行動する意思」の欠如と「平和のために軍事力を『使う』意思」の欠如だ。
まず、戦後平和主義には、日本が国際平和のために役割を果たすという意思が欠けていた。敗戦直後の日本人にとって、平和主義とは二度と平和破壊者にならないとの誓いと同義であり、自衛のための最小限度内でしか軍事力を用いない方針を貫くことが日本のとるべき道だと信じられたからだ。
この消極性は、湾岸後の四半世紀の間にほぼ克服された。今や自衛隊の国際平和活動への参加を全否定する日本人がほぼいなくなったことが、何よりの証左だ。
だが、戦後日本の平和主義にはもう一つの消極性が伴っていた。それは、平和を構築する上で軍事力には不可欠の役割があり、平和を求める国家には時として軍事力を「使う」意思も求められるのだという認識が欠けていたことだ。
軍事力には二面性がある。それは、平和を破壊する道具になる。しかし、その危険な道具を使いこなせなければ、平和を手にすることはできないのだ。ところが、戦後の日本人には、平和と軍事を根本的に対立するものととらえ、平和のための軍事力の役割を認めようとしない傾向が強かった。それは、湾岸ショックにより日本人が「平和のために行動する意思」を取り戻した後も消えていない。
たとえば、湾岸後の日本人は「国際貢献」のために自衛隊を海外に送ることには同意するようになったが、自衛隊の活動が武力行使とは厳密に一線を画すことを神経質なほどに望んだ。また、先年の平和安全法制の審議では、平和のための軍事力の役割を語ることへの国民の拒否反応がいかに根強いものかがあからさまになった。
直截な言葉で伝える勇気を
だが、現実には力によって下支えされない平和はあり得ない。だからこそ国際社会は、日本に対し平和のための国際的活動には、自衛隊の活用も含めて他国と同質の貢献を行うよう求めているのだ。この点で国民の意識改革が進まなければ、日本の平和主義の積極化は不完全なものに止(とど)まるだろう。
首相が積極的平和主義を打ち出したとき、私はそれを、この意識改革を自らが主導して推し進めたいという決意表明として受けとめた。実際、安倍政権の安全保障改革は、集団的自衛権の限定的行使容認やPKO協力法への駆けつけ警護の盛り込みなど、平和のためには軍事力に不可欠の役割があるとの認識に基づくものばかりだ。
だが、首相は、安全保障改革の必要性を説明するに当たり、そうした認識を国民に十分に伝えてきただろうか。首相から、平和のためには軍事力が必要なのだという直截(ちょくせつ)な言葉が発せられていないことが気になる。平和国家である日本が軍事的手法での平和への貢献を積極化するのはなぜかとの質問を受けることが、今でも少なくない。平和と軍事に関する日本人の理解が依然として十分ではないことを、私は懸念している。
国民の意識改革が道半ばでは、憲法9条改正の見通しも立たないのではないか。平和のためになぜ軍事力を用いる必要があるのか、国民により正面から語ること。安倍首相に、その勇気を求めたい。(かみや またけ)




