東日本大震災から5年。発生時、僕は羽田空港にいた。空がなんとも形容しがたい色をしていた。一面に広がる分厚いグレーの天から降りてくるような不気味な空だった。震災から約1週間後、がれきに埋まる岩手県陸前高田市の市街地に立っていた。落ちていたアルバムやお人形がなんとも生々しかった。
寝袋を届けようと避難所を回っていたが、驚いたのは「ここも大変だけれどあっちの避難所も布団が足りていないのです。あちらの分もとっておいて」という避難されている方々の言葉だった。海外の震災などで救援物資を奪い合うニュースを何度か見てきただけに、極限状況下にもかかわらず「譲り合いの精神」に涙が流れた。
宮城県気仙沼市での光景も忘れない。夕暮れ時、避難所の駐車場にいた。停電で辺り一面は真っ暗闇。10台ほどの消防車が列を組んで前を通過しようとしていたとき、僕の横を1人の小学生が消防車の方に向かって走っていく。「危ないよ!」と声をかけようとしたその時。彼は背筋をピンと伸ばし、消防車に向かって敬礼を始めたのだ。