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【3・11を想う】被災地支援の先頭に立った台湾・副総統 頼清徳さん「私たちはいつも一緒にいる」

台湾の総統府内でインタビューに応じる頼清徳副総統(矢板明夫撮影)
台湾の総統府内でインタビューに応じる頼清徳副総統(矢板明夫撮影)

 東日本大震災で日本は多くの国・地域から支援を受けた。200億円を超える義援金などで日本を助けてくれた台湾の頼清徳(らい・せいとく)副総統は当時、南部・台南市の市長として被災地支援の先頭に立った一人だ。この10年間、台湾が震災に見舞われたときの経験も振り返りながら、自然災害を通じて育まれた「友情」のさらなる発展を誓う。

 --東日本大震災が起きたときの台南市民の反応は

 「震災のニュースが伝わった直後、台南市の市役所には市民から電話が殺到した。『日本を支援したい』『自分にできることはないか』といった相談がほとんどだった。反応の大きさには私も職員も驚いた。台南市にはかつて(の日本統治時代)、日本人技師の八田與一(はった・よいち)が造ってくれたダムがあり、街が抱く日本への親しみを改めて実感した。市民と一緒に寺院などで被災者の無事を祈り、市が中心となって被災地支援のチャリティーパーティーを開くと、一晩で1億円以上集まった」

 「2011年4月、私は台南市議会議長らと日本に赴き、友好関係にある仙台市に寄付金を手渡した。被災者とも触れ合った。台南市民の気持ちを直接伝えたかった。寄付金は2回で計1億4千万円ぐらいだったと思う」

 --観光地支援のために栃木県日光市も訪れた

 「私たちと友好関係にあるもう一つの都市、日光市の市長が台湾を訪れた際、私は震災に伴う風評被害で外国人観光客が激減していると相談を受けた。噂を打ち消すには行動で示すのが一番いいと思い、『私と台南市民が行く』とその場で約束した。ラジオで『一緒に日光に行く人を募集する』と呼びかけたら、あっという間に300人集まった。震災から約3カ月後の6月、『行こう日光』と大書されたTシャツを全員が着て、鬼怒川温泉などを回った。ほかの観光客はあまりいなかったので、どこに行っても大歓迎された」

 --日本との交流はその後も続いた

 「日本と台湾の間で助け合う場面は多かった。例えば、台南市の許文竜氏という企業家らは、日本の被災地の若者を台湾に招待して交流活動を続けている。こうした人と人の交流は、必ず日台の将来につながると信じている」

 --16年の台南市を中心とした台湾南部地震では100人以上が犠牲になるなど、この10年、台湾も震災を経験した

 「台南で16年2月6日未明に地震が起きると、日本からはその直後から支援が送られた。(台湾は)安倍晋三首相(当時)からお見舞いの手紙も頂いた。18年2月に東部・花蓮県で地震が起きたときは、安倍氏が『台湾加油(がんばれ)』と揮毫(きごう)してくれた。震災支援によって日本と台湾は心を寄せ合う本当の友人になり、互いに助け合う『善の循環』になっていると考えている」

 --双方は今年を「日台友情年」と決めた

 「震災から10年というのが理由の一つだ。日本のみなさんは10年前のことをよく覚えてくれている。毎年必ず在台湾日本人らが感謝イベントを実施し、今年は日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰代表が中心となって台湾のシンボルタワー『TAIPEI 101』に、台湾と日本の友情や東京五輪成功を祈るメッセージを点灯させる式典が開かれた。多くの台湾人が感動した。この友情をさらに深めることは、われわれの責任だと考えている」

 --被災者のみなさんにメッセージを

 「とにかく元気でいてください。私たち台湾人はいつもあなたたちと一緒にいることを、忘れないでください。日本には先端技術があり、優しい心を持った人がたくさんいるので、どんな災害にも必ず打ち勝てると考えています。頑張ってください」(聞き手 台北=矢板明夫)

 らい・せいとく 1959年、現在の新北市生まれ。台湾大学医学部を卒業後、米ハーバード大で修士号を取得。内科医から政界に身を転じ、立法委員(国会議員に相当)を4期、2010年から台南市長を2期務めた。17年9月から19年1月まで蔡英文総統の下で行政院長(首相)を務め、20年1月の蔡氏の総統再選を受けて同年5月、副総統に就任した。

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