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「30年前の自由のメッセージ共有したい」 血の日曜日で駐日リトアニア大使

ゲディミナス・バルブオリス駐日リトアニア共和国特命全権大使(駐日リトアニア共和国大使館のホームページから複写)
ゲディミナス・バルブオリス駐日リトアニア共和国特命全権大使(駐日リトアニア共和国大使館のホームページから複写)

 1991年1月13日に起きたソ連がリトアニアの独立運動を弾圧した「血の日曜日事件」から30年に合わせ、ゲディミナス・バルブオリス駐日リトアニア大使(50)が産経新聞にメッセージを寄せた。要旨は以下の通り。

 この日は現代リトアニア社会の集団的記憶の中で最も重要な瞬間であり、国民に団結心を刻んだ。リトアニア民族の20世紀最大の勝利だという人さえいる。リトアニア人はこの日、全欧州の自由、人間の尊厳、基本的な民主的価値を擁護しようとしたからだ。

 私個人にも実に思い出深い。当時、私はビリニュス大学の3年で、1月13日は夜通し街頭に出て、最高会議ビルを取り囲み、死守する民衆の中にいた。テレビ塔が武力による血の攻撃を受けたと聞いた後、市の中心部に集まったときの高揚感を鮮明に思い出す。

 われわれはソ連軍の軍用車両や戦車が最高会議や他の国家施設を守る人々を威嚇する力を見せつけるのを目撃した。しかし、大勢の人々が手に手を取り、人数も膨れ上がったため、ソ連当局は恐らく軍事行動を拡大できなかったのだ。こうして、あの夜、われわれの自由は国民の決意と結束で生き延びたのだ。

 1月13日は「自由の擁護者の日」と定められている。この日、各家庭やあらゆる職場では、犠牲となった自由の擁護者の正義や記憶の象徴として、窓辺にキャンドルを灯すのが習わしとなった。海外の大使館でも同じだ。

 テレビ塔の事件では無辜(むこ)の14人が犠牲となり、702人が負傷したが、犠牲者の死は無駄ではなかった。彼らはソ連帝国の崩壊を見越して90年3月11日に回復したわが国の独立(独立宣言のこと)を擁護してくれた。独立回復後、リトアニアはソ連の侵略や軍事クーデターの試みにも平和的な抵抗を続けてきた。これはソ連帝国からの独立を目指す他の抑圧された共和国の模範となった。

 われわれが「リトアニアの勝利」というとき、30年前の歴史的瞬間に生きていた人々だけでなく、(ロシア革命と第一次大戦後の)18年の独立闘争に志願し、リトアニアの自由の礎を築いた前世代の人たちも念頭に置いている。テレビ塔事件30年という歴史的記念日にあたり、30年前にリトアニアから世界に送った自由のメッセージをいま一度、共有したいと願う。

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