PR

ニュース 国際

【李登輝氏死去】戦後台湾の象徴 「22歳までは日本人だった」

 だが、総統就任後の李氏は、揺るぎ始めたとはいえ一党独裁体制の国民党の主席に就任することにも成功。手にした権限と卓越した政治手腕、民主化を求める民意を背景に、党内の政敵を次々と失脚に追い込んだ。中台分断前から居座る「万年議員」らに退職を認めさせ、憲法修正を成し遂げて立法院(国会)を全面改選し、総統の直接選挙も実現した。この改革により、政治体制は中国大陸全土をも統治する前提の体制から、実効支配地域である台湾本島と周辺島嶼(とうしょ)に見合った形に転換され、台湾住民が直接選んだ民主的な代表が政権を担う現在の形が整えられた。

 対外関係でも、89年のシンガポール訪問時に「台湾から来た総統」との呼称を受け入れ、国際社会で「中国」を代表する政権の地位にこだわらない姿勢を表明。その一方で、窓口機関を通じた形式で中国政府とも間接的に接触し、中国との対等な関係を模索するなど「台湾アイデンティティー」の確立に寄与した。

 退任後は「後継者を育てなかった」との評価や政治腐敗、独立派政党「台湾団結連盟」の設立に関与した政治的な偏りなどを理由に批判を受け、また、親日的な言動が政争の具とされることもあった。

 ただ、現在の「天然独(生まれつきの独立派)」と呼ばれる若年世代は、李氏時代の教育改革が生み出したとされる。李氏は、その人生が戦後台湾の象徴であるだけでなく、現在の台湾の基礎を築いた指導者であったと言って過言ではない。(前台北支局長 田中靖人)

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ