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「めぐみちゃん、お父さんです。元気に帰ってきて」 最期まで希望捨てず

 横田滋さんは救出運動のシンボルとして常にほほ笑みをたたえ、朴訥(ぼくとつ)な語り口で誠実な思いを伝えた。「娘に会いたい。とにかく会いたい」。老いや病で体が動かなくなり、言葉が出づらくなっても各地の集会などに可能な限り足を運び、拉致被害者の全員救出へ懸命に言葉をつむいだ。

 「今やめたら、何も残らず消えてしまう」。平成26年末、滋さんは胸中を明かした。拉致事件は膠着(こうちゃく)し風化が懸念された。北朝鮮は同年5月、すべての拉致被害者の再調査を「ストックホルム合意」で約束したが情勢は動かなかった。講演で言葉に詰まることも多くなった滋さんだが、笑顔で被害者救出を訴え続けた。

 9年1月、元北朝鮮工作員がもたらした情報で、めぐみさん拉致事件が発覚すると「不安感が一掃され、娘が生きていることに今まで以上に希望が持てます」と言葉を弾ませた。同年3月には拉致被害者家族会が結成。代表に就任し「20年何の進展もなかった。結成が一つのきっかけとなり救出の成功につながることを夢みている」と力説した。

 しかし、問題は進展しない。政府は拉致を棚上げに北朝鮮へコメ支援することさえあった。12年には外務省周辺などで抗議の座り込み。「拉致の解決なくして食糧支援もないという厳しい態度を示してほしい。人道的支援と強調するなら、拉致された人間にも配慮をしてほしい」と怒った。

 被害者と再会できず家族が次々亡くなる現実に焦りを募らせた。「家族は高齢化している。いずれ解決するでは、だめなんです。せめて生存確認だけでも…」

 そして、14年9月17日の日朝首脳会談。北朝鮮はめぐみさんを「死亡」と主張した。「信じることができません」とむせび泣きながらも生存とされた被害者家族を「遠慮せずに喜んで」とおもんぱかった。

 19年11月、75歳の節目で代表を勇退。「私の中で、めぐみは中1のまま。まずは肩の荷がおりた」と語った。地道な救出運動を続けビデオメッセージなどの収録はいつも愛情を込めた呼びかけで始めた。「めぐみちゃん、お父さんです。日本中の人が待っています。元気に帰ってきてください」

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