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中曽根元首相死去 明確なメッセージ発信 米の日本人観 変えた 日系米学者・神戸大院教授 簑原俊洋氏

1985年1月、米ロサンゼルスの会合後の発言中にともに笑うレーガン米大統領(左)と中曽根康弘首相=AP
1985年1月、米ロサンゼルスの会合後の発言中にともに笑うレーガン米大統領(左)と中曽根康弘首相=AP

 長身で体格もよく、相手の目を見て堂々と話す中曽根康弘元首相は、米国人による日本の首相のイメージを変えた。それまでの首相には、よく言えば低姿勢、率直に打ち明ければ“へこへこ”した印象があった。

 中曽根氏が首相に就任した1982年11月、私は米西部カリフォルニア州で暮らす日系米国人の小学生だった。まだ日本への関心が薄かった私が当時の中曽根氏を覚えているのは、白人の同級生が休み時間に「今度の日本の首相は格好いいね」と褒めたからだ。

 米国人にとって一般的な日本人のイメージは、人と話すときに目を見ず、何を考えているのか分からない-というものだ。既にカラーテレビが普及していた時代、中曽根氏はまず第一印象が良かったのだと思う。

 日米関係を研究する学者として振り返っても、中曽根氏は発信するメッセージが明確だった。東西冷戦の最中に自由主義陣営の一員として共産勢力と対決する姿勢を示した。レーガン米大統領やサッチャー英首相と並び立つ姿は、日本が国際政治の舞台の中心に躍り出たことを印象づけた。

 「ロン」「ヤス」と呼び合うレーガン氏との個人的な信頼関係は、のちの息子ブッシュ大統領と小泉純一郎首相、現在のトランプ大統領と安倍晋三首相の関係と比べても強固に見える。

 83年11月の日米首脳会談で中曽根氏はレーガン夫妻を日の出山荘(東京都)に招き、歓待した。一般的に米国では大人が靴を脱いで床に座る習慣はない。いろり端に座り、くつろぐレーガン氏の姿に、仕事上の付き合いに止まらない友情を中曽根氏との間に育もうとする姿勢が現れていた。

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