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【宮家邦彦のWorld Watch】ブッシュ父元大統領を悼む

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1991年10月、スペインのマドリードにあるソ連大使館で行われたゴルバチョフ大統領(右)との記者会見に臨むブッシュ米大統領(AP)
1991年10月、スペインのマドリードにあるソ連大使館で行われたゴルバチョフ大統領(右)との記者会見に臨むブッシュ米大統領(AP)

 先週末、ジョージ・H・W・ブッシュ元米大統領が94歳で亡くなった。8月下旬のマケイン上院議員逝去に続き、米国は過去3カ月で良質の政治家を2人失ったことになる。米メディアは古き良きアメリカ政治を懐かしむかのように連日追悼記事や特別番組を報じた。

 湾岸戦争終結後の1991年10月、筆者がワシントンに赴任した際の大統領がブッシュ氏だった。当時もホワイトハウス記者会見は厳しかったが、決して敵対的ではなく、記者たちも今のようにけんか腰ではなかった。息子のジョージ・W・ブッシュも43代の大統領となったが、ミドルネームが異なる息子は米国ではジュニアとは呼ばれず、ブッシュ41、ブッシュ43と区別することが多いようだ。

 それはともかく、当時は誰に会っても「米軍はクウェート解放だけでなく、バグダッドまで侵攻すべきだったか」と聞かれたものだ。筆者がアラビア語専門でイラク赴任経験者だからだろう。いつも「それはとんでもない大間違い」と答えていたが、これこそがブッシュ41の判断だった。彼の政敵はイラクの政権転覆を求めたが、大統領は「膨大な人的政治的コストを生む」とかたくなにこれを拒否した。皮肉にも、2003年にそれを実行したのがブッシュ43だ。

 ブッシュ41は奉仕の人、戦争の悲惨さを熟知する政治家だった。先の大戦に従軍、下院議員、北京の米国代表、CIA長官、副大統領を務めた彼ほど国家への奉仕を貫いた大統領は他にない。同時に彼は良質の人でもあった。筆者が日米関係に関わった過去40年間を振り返ればブッシュ41は「ノブレスオブリージュ(高貴なる者の義務)」で超党派政治を目指した最後の共和党大統領だったと確信する。その後共和党は内部対立で変質し今やトランプ氏に乗っ取られてしまったからだ。

 責任の一端はブッシュ41にもある。湾岸戦争で支持率が急上昇したものの、1992年の大統領選挙では増税を公約違反と批判され「バーコード」すら知らない浮世離れの政治家とも揶揄(やゆ)された。彼の死は米国での「エリートのステーツマンによる政治」の時代が終わったことを象徴する。今や米連邦政府は劣化し国民全体に奉仕する指導者がほとんどいなくなった。その典型がトランプ政権である。

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