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戦中の台湾少年工 神奈川で最後の歓迎大会「記録写真提供を」

台湾の少年工らが生活をしていた寄宿舎=現在の神奈川県大和市(石川公弘さん提供)
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 先の大戦末期、旧日本海軍の航空機工場「高座海軍工廠(こうしょう)」(現在の神奈川県座間市など)で、戦闘機の製造に従事した台湾の少年工の来日から今年で75周年。10月に「台湾高座会留日75周年歓迎大会」が開催され、台湾少年工をたたえる顕彰碑の除幕式が行われる。元少年工の高齢化により、節目節目に行われてきた歓迎式典は今年が最後となる。関係者は「台湾少年工と関わりのあった人々の経験談などをまとめ、後世に伝えたい」と記録写真などの提供を呼びかけている。

 昭和17年、アジア一帯に戦線を拡大していた日本は、戦時下の労働力不足を補うため、台湾から約8400人の少年工を募集した。募集条件は、日本で航空機を製造しながら勉強すれば、3~5年で旧制工業中学校卒業の資格を得られ、将来は航空機技師への道が開けるというものだった。

 ■「雷電」を生産

 食費など生活費は公費でまかない、給与ももらえるといった破格の条件で、台湾の優秀な若者が競って志願したという。「学力優秀、身体強健」などの条件を突破した少年が、工廠付属の工員養成所で、日本人とともに学びながら働いた。

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