PR

ニュース 国際

第2次台湾海峡危機60年 金門島で式典 台湾で割れる歴史的評価  

23日、台湾・金門島の地下坑道で開かれた第2次台湾海峡危機60年の記念式典(田中靖人撮影)
Messenger

 【金門島=田中靖人】1949年の中台分裂後、最大で最後の武力衝突となった第2次台湾海峡危機は23日、発生から60年を迎えた。危機の舞台で国共内戦の最前線となった台湾の離島、金門島は「小三通」と呼ばれる中国大陸との通商・通航により中台の融和を象徴する地に変わった。ただ、現政権と当時の政権党が記念行事を別々に開催するなど、停滞する最近の中台関係も如実に映し出した。

 国防部(国防省に相当)は23日、当時の兵士ら約750人を金門島に招き、陸軍基地内の太武山山腹を開削した坑道で記念式典を開いた。厳徳発国防部長(国防相)は「自由と民主的な生活を享受する60年後の今、犠牲に思いを致し、強固な国防があってこそ戦争を防げると肝に銘じるべきだ」と演説した。

 1958年8月23日午後6時半、中国の人民解放軍は対岸のアモイなどから砲約340門で一斉に攻撃を開始。金門には約2時間で約5万7500発の砲弾が降り注いだ。衛生兵だった張仁徳さん(81)は、救急車では足りずトラックで負傷者を運んだ。「車が通った後の地面に流れた血の跡がつくほど凄惨だった」。解放軍の上陸を恐れ、何日も眠れない夜を過ごしたという。

 中国の金門砲撃には、54年の米華相互防衛条約で金門と馬祖列島が防衛対象として明文化されなかったことから、米国の台湾防衛の意思を測る狙いもあった。これに対し、米国は空母5隻を含む50隻以上の艦艇を台湾周辺に展開。金門への補給船団を護衛したほか、長射程の榴弾砲を提供し反撃を助けた。米国は戦術核の使用も検討したが、国民党の蒋介石政権が求めた大陸の空爆は認めなかった。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ