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【中国観察】香港「雨傘運動」はなぜ起きて、何を残したのか? 指導者の一人が語った「一国二制度の矛盾」

講演する香港中文大の周保松准教授=6月24日、東京都千代田区の明治大
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 香港で2014年に起きた民主化要求デモ「雨傘運動」から約4年となる。若者を中心とした多くの市民が街頭を占拠した同運動は、中国共産党政権の主権が及ぶ地域では1989年の「天安門事件」以降で最大級の民主化要求デモとして世界からも注目された。香港市民として運動に参加した政治学者、周保松氏(香港中文大副教授)は6月下旬、都内での同運動に関する講演で、「短期的に見て雨傘運動は失敗したと評価されるだろう」とする一方で、多数の市民が参加したことは「将来、中国の民主化プロセスにおいて大きな影響を残すのではないか」と意義を語った。

著書が運動に影響

 6月24日、東京都千代田区の明治大駿河台キャンパスで、周保松氏は「香港雨傘運動と『一国二制度』の将来」と題し講演(明治大現代中国研究所主催)。冒頭、同大商学部の石井知章教授は「雨傘運動のリーダーの一人として知られている政治学者。著書が同運動に大きな影響を与えたといわれている」と紹介した。

 周保松氏は、政治哲学や現代中国政治思想を専攻。プロフィルによると、雨傘運動の退潮期に学生とともに現場に残り、警察に逮捕された経験を持つ。

 「海外で雨傘運動について講演するのは初めてだ」という周保松氏は、同運動について「真の普通選挙の実現を香港政府に求めた、香港史上最大の民主運動だった」と端的に説明する。

 雨傘運動が起きた直接的なきっかけは、2014年8月31日の中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会による香港行政長官選の改革方針決定だった。候補者は2、3人とし、いずれも指名委の過半数の支持を義務付けるなどした。さらに、6月の「一国二制度白書」でも行政長官は「愛国者」に限ると強調されており、民主派が事実上、排除された。

 「それまで話し合い、協議、妥協もして民主主義を実現しようとしてきたが、8月31日に香港市民は道が断たれたと感じた。この日以降、香港社会が過激になった」と当時を振り返る。

香港の成熟と中国の保守化

 雨傘運動はなぜ起きたのか。周保松氏は「一国二制度という構想に内包された矛盾が爆発し、雨傘運動につながった」と指摘。以下のように香港における一国二制度の状況を分析した。

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