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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(23)日本官憲を代表して責を負う 平安南道「最後の知事」が残した回想録

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 ◆避難民は引き受けた

 一方、ソ連軍の侵攻を聞いて満州から南下してきた日本人避難民は増える一方だった。《8月12日に現地師団を通じて満州からの避難民を大量に引き受けてほしいとの申し出があり総督府に連絡したところ、「京城に収容能力がないから、平壌以北で引き受けてくれ、南下は困る。これは(日本陸軍の朝鮮)軍司令部とも打ち合わせ済みである」とのことであった》

 古川は怒り心頭に発したが、手をこまねいてはいられない。《私は義憤を感じ、平壌府民の同情心に訴えて受け入れることにした…当時平壌には3カ月分の食糧しかなく、越冬用の燃料も乏しかったが、朝鮮人有力者に依頼して、地方にある食糧や物資を搬入する努力をした。…平壌に3万人、(付近を走る)京義線沿線に1万人、(平壌南西の)鎮南浦に1万人、という受け入れ割り当てを決め、全部日本人家庭に入れることとした…》

 ソ連軍の平壌入城後の8月27日、行政権は、朝鮮人の人民政治委員会へと移譲される。占領下で命を失ったり、塗炭の苦しみを味わったりした朝鮮北部の日本人は数知れない。状況は、米軍占領下の南部よりもはるかに厳しかったが、古川がこれ以上、策を講じることはかなわなかった。9月7日、ソ連軍によって逮捕され、まもなくシベリアへ送られたからである。

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