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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(23)日本官憲を代表して責を負う 平安南道「最後の知事」が残した回想録

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(23)日本官憲を代表して責を負う 平安南道「最後の知事」が残した回想録

黄海道警察部長時代の古川兼秀=昭和10年 黄海道警察部長時代の古川兼秀=昭和10年

 ◆幻の●晩植担ぎ出し

 この短期間で(ソ連参戦から終戦まで)古川は、何をやろうとしたか?

 第1に、平壌や周辺の日本人住民の生命・財産を守ること。そして、行政への朝鮮人有力者の登用。さらには満州からの避難民の引き受け、である。

 朝鮮人登用は敗戦後をもにらんで、スムーズに政権移譲を進め、日本人の生命・財産の保全を図るため、であった。古川は、そのターゲットを、抗日運動の中心人物だった民族主義者でキリスト者の●晩植(チョ・マンシク)に置く。軍部は反対したが、古川は「人心安定には不可欠」と軍を説得し、終戦間際から、●の担ぎ出し工作に取りかかる。

 《こういう事態にあっては、過去の経歴や現在の思想等(とう)を超越して、とにかく道内で最も信望のある朝鮮人の協力を求め、例えばその説話の形式でも民心宣撫(せんぶ)の工作を講じる…場合によってはこちら(日本人)が陰になっても構わない》

 「抗日」運動のリーダーであっても、行政の主導権を渡しても…それで日本人の安全が保障されるのであれば構わない、という捨て身の戦略である。

 だが、すでに日本の敗戦を見越していた●は、古川の誘いに乗らなかった。朝鮮人による建国準備委員会、人民政治委員会を結成し、11月には朝鮮民主党を結成して党委員長に就任。新生・朝鮮のリーダー候補とも目されたが、ソ連と対立し失脚してしまう。古川は共産主義者の玄俊赫(ヒョン・ジュンヒョク)とも秘密裏に接触するが、玄も暗殺されてしまった。

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