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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(8)感謝された初等教育 「北の2人の母」も日本と関わり

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(8)感謝された初等教育 「北の2人の母」も日本と関わり

高英姫(中)=1970年代の北朝鮮の絵はがきから 高英姫(中)=1970年代の北朝鮮の絵はがきから

反目やいさかいなし

 日本統治時代の朝鮮随一の名門校であった京城師範附属(ふぞく)小学校。この学校は同じ敷地内に、主に日本人が通う第一小と、朝鮮人の第二小があった。

 説明が必要だろう。朝鮮の教育近代化を進めた日本は学校建設にあたって、「国語(日本語)能力の違い」によって初等教育を小学校(日本人)と普通学校(朝鮮人)に分けた。朝鮮人児童は、学齢期になるまで家庭では朝鮮語しか使っていないからである。

 もっとも、軍人や官吏、名家の子弟など一部の朝鮮人児童は日本人の小学校に通っていたから「差別」と映ったかもしれない。2つの学校名称はその後、「小学校」→「国民学校」と統合されたが、内鮮の区別は最後までそのままだった。

 京城師範附属小にも2つの学校が存在した。昭和12年生まれとされている、金正男の母、成●琳は終戦時、その第二小に通う児童だったのである。

 同小で成●琳の兄と同級生だった金昌國(昭和8年生まれ)が『ボクらの京城師範附属第二国民学校』の中で、彼女の思い出に触れている。《私はずっと副級長だった…級長になれない理由はただ一つ、クラスには成田君(※成●琳の兄)がいたからである。(略)成田君にはかわいらしい妹が二人いて、兄妹三人で登校していた。学校でも時どき兄である成田君に会いにきた…見当たらないと「お兄ちゃんは、どこ」と聞いてきた。かわいらしい妹たちであった》

 この末妹が成●琳であった。戦後、一家は北へ渡り、●琳の姉は正男の家庭教師をしていたと伝えられる。

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