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【矢板明夫の中国点描】なぜ劉暁波氏は最後に海外治療を望んだのか 決して祖国を離れなかった民主化リーダーの「最後の願い」

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【矢板明夫の中国点描】
なぜ劉暁波氏は最後に海外治療を望んだのか 決して祖国を離れなかった民主化リーダーの「最後の願い」

 「子供たちが殺されたのにひげの生えたやつが生き延びた。理不尽なことだ」

 2008年5月、北京西部にある劉暁波氏の自宅を訪れたときのことだった。狭いリビングルームの薄暗いランプの下で「なぜ海外に行かないのか」と尋ねると、劉氏はそう答えた。一瞬、何のことを言っているのか理解できなかった。

 吉林省で生まれ育った劉氏の言葉には中国東北部のなまりがあり、独特な言い回しも多い。どうやら「ひげの生えたやつ」とは成人男性の意味で、1989年の天安門事件当時、33歳だった劉氏自身を指していたようだ。

 劉氏はその直前まで、北京師範大学の人気講師だった。授業では「中国に民主化が必要だ」と熱く語っていた。口コミで他校の学生が聴講に来るほどで、いつも大教室を満員にしていた。その影響で多くの教え子が民主化運動に参加し、弾圧の犠牲となった。

 このとき劉氏の心に刻まれた痛恨が生涯、中国国内に残り一党独裁体制と闘い続ける原点となった。事件の数年後、刑務所から釈放された劉氏は天安門事件で子供を失った母親らを訪ね、1人ずつ謝罪して回ったという。

 「あの運動で民主化が実現できるかもしれないと情勢判断を誤っていた。自分自身も注目されて浮かれていた」

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