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【話の肖像画】元台北駐日経済文化代表処代表・羅福全(2)国民党の戒厳令下で逮捕も

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【話の肖像画】
元台北駐日経済文化代表処代表・羅福全(2)国民党の戒厳令下で逮捕も

母、姉とともに、幼少期に暮らした東京・久が原の家で (本人提供) 母、姉とともに、幼少期に暮らした東京・久が原の家で (本人提供)

 〈昭和20(1945)年、埼玉県内で玉音放送を聞く〉

 学童疎開が東北に移るというので母が私を引き取り、私たちは埼玉の北本宿(北本市)へ移りました。伊豆からの帰りは東京大空襲の2日後。列車から見えるのは、焼け野原から立ち上る煙でした。米軍が沖縄に上陸したため台湾から私たちへの仕送りが途絶え、古着をイモや野菜と物々交換しました。米はもう非常に少なく、大豆のかすをご飯に交ぜていましたので、戦後、蒲田(東京都大田区)の闇市で食べたイカの丸焼きや白米はおいしかったですね。8月15日、重大なニュースがあるからラジオの方へというので、一緒に暮らしていた日本人の家族や私のいとこ、姉らと集まった。いとこは高校生で、放送が始まると「もう私たちは日本人じゃないから聞かなくてもいい」と席を外しました。私は「もう空襲はない。われわれは台湾人なんだ」と思いました。

 〈21(1946)年2月、氷川丸に乗り、台湾へ帰った。台湾では日本に代わり、中国国民党による支配が始まっていた〉

 氷川丸は戦時中、病院船として使われていたから、船体は真っ白に塗られて赤い赤十字のマークがありました。一般の台湾人は祖国に期待を持って帰ったと思うのです。ところがこの思いは結局、後に非常に短い時間で砕かれることになります。氷川丸が基隆(台湾北部)に着き、その後、混雑して窓もない夜行列車に乗り、嘉義へ帰り着きました。駐日代表の時、横浜に保存されている氷川丸を見に行きましたが、何ともいえない思いでした。

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