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【満州文化物語(25)】
歌手、東海林太郎も館長だった…質・量ともに内地を凌駕した満鉄図書館
当時の満鉄は、満州各地に二十数カ所の図書館を持ち、質・量ともに内地(日本)の図書館を凌駕(りょうが)していたと言っていい。満鉄の潤沢な予算を使って古今東西の貴重な文献を広く収集。社業としての研究・調査を支えるとともに市民に読書の楽しみを提供した。
その担い手として、亜細亜大学長などを務めた衛藤瀋吉の父親で、満鉄奉天図書館長だった衛藤利夫(1883~1953年、戦後・日本図書館協会理事長)ら“伝説のライブラリアン”を多数輩出している。
ただ、最盛期には蔵書20万冊を誇った奉天図書館に比べると、鉄嶺図書館はいかにも規模が小さい。東海林が赴任する少し前、大正13年度末の満鉄資料によれば、蔵書数は約4000冊、館員は3人だけ。それでも図書購入の予算は年額約1500円(現価で約150万円)あった。
東海林太郎音楽館の佐々木三知夫(みちお)館長(70)によると、「(東海林は)館長の権限で、クラシック音楽関係の書籍やレコードを相当買いあさったらしい。それを読み、聞きながら歌手になる夢をいっそう募らせていったようです」。昭和5年に満鉄を辞めて日本へ帰るとき、東海林はその書籍・レコードを持っていったというから相当に愛着があったのだろう。
満鉄時代には、もうひとつ重要な出会いがあった。後に東海林の代表曲となる『赤城の子守唄』(昭和9年)を企画した作詞家の藤田まさと(当時・大連商業の学生)である。『赤城-』の歌手を選ぶとき、藤田はリストにあった旧知の東海林の名前を見つけ、起用を決める。歌は大ヒット。鳴かず飛ばずだった東海林は一躍、人気歌手の座をつかむことになった。
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