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【満州文化物語(25)】
歌手、東海林太郎も館長だった…質・量ともに内地を凌駕した満鉄図書館
「直立不動」の歌唱スタイルで知られた往年の人気歌手の東海林太郎(しょうじ・たろう=1898~1972年)の故郷・秋田市の「東海林太郎音楽館」に彼が満鉄・調査課時代に書いた論文『満洲に於ける産業組合』(大正14年刊行)が残されている。
終戦時、米軍に押収され、長く米議会図書館にあった満鉄関係資料約5000点の中に含まれていたものだ。東海林はこの論文の内容が「左翼的である」として、鉄嶺(てつれい)という奉天(現中国・瀋陽)の北東約80キロの田舎町の図書館長に左遷されてしまう。だが、この人事異動が、歌手としての道を開く遠因となるのだから人生は分からない。
「左遷人事」で歌手の道
東海林は父子2代の満鉄マンである。土木技師だった父親の大象(たいぞう)は明治41(1908年)、大陸に新天地を求めて秋田県庁を辞め、設立間もない満鉄に移っている。このとき、長男である太郎は同行せず、祖母とともに秋田に残った。
名門・秋田中学(旧制)に進んだ東海林は、音楽家に憧(あこが)れ、東京音楽学校(現・東京芸大)へ行きたかったのだが、父親に猛反対されて早稲田大へ進む。同級生に河野一郎(後に農相など)や浅沼稲次郎(同社会党委員長)がいた。
学生結婚をした東海林は早稲田を出た大正12(1923)年、音楽の道に未練を残しながら満鉄の入社試験を受ける。配属先は調査研究や情報収集を行う庶務部調査課。満鉄経営の鉄嶺図書館に移ったのは昭和2(1927)年だった。
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