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未来のプログラマーは、いま「SF作品」で倫理を学んでいる

多くの人が、これをSFの有益な機能だと考えている。企業の幹部が集まる会議室で未来の世界を構想する、フューチャリスト・コンサルタントに聞けば明白だ。

一方のバートンは、SFの未来予測の試みにそれほど意味はないと指摘する。エンジニアが目の前の難題に対処できない場合は特にだ。「フェイスブックはこれまであらゆる失態を犯してきて、おそらく自分たちでもちょっとバランスを欠いているなと気づいていたはずです。でも、実際に現場にいると、『これくらい普通だよ』と簡単に自分に言い聞かせてしまえる。ここが見過ごされている点なのです」

むしろ、フィクションの意義は未来ではなく既存の問題を示してみせる点にあるとバートンは考える。要は、共感力の問題だ。ケン・リュウの短編『Here-and-Now』は、デジタルプライバシーを巡る議論のきっかけになるかもしれない。マーティン・シューメーカーの『Today I am Paul』は、ロボットと人間の関係性を論じるものだ。

人間らしく生きるためのSF

コロラド大学でコンピューター倫理学を教えるフィスラーは、中間の立場だ。彼女が好むのは、Netflixドラマ「ブラック・ミラー」のように、現実世界と密接につながるSF作品である。「現実世界とSFの世界のつながりを細かに見てとることができますよね」とフィスラーは話す。

彼女は、現実社会のケーススタディーと結びつける。リアルとスペキュラティブを融合することによって、学生たちがテック業界で働くことの本質とリスクを見抜き、行動につなげられるようになればと期待しているからだ。

さらにいいのは、学生にプログラミングと同じコース内で倫理を学ばさせることによって、コードという文脈のなかで、倫理的な問いとその解決策を見つける視点を身につけさせられることだ。

とはいえ、何より重要なのは、それが実際に生かされるかどうかである。

倫理学を学んだ学生は、テクノロジーの世界におけるバイアスを鋭く見抜き、かつそれを修正するツールを提供するプログラマーになれるのだろうか? フィクションに描かれた、人に対する共感や衝突といったいささかセンチメンタルな要素が、コンピューターサイエンスを志す学生を感度の高いプログラマーに育てるのだろうか? 

大事なのは、コードに潜む問題を見つけられるようになることだけではない、とバートンは言う。倫理学は、ひとりの人間が大企業に、そして技術の進化がもたらす力に支配されることの意味を問う。学生は、目的に向かって猪突猛進するだけではない世界にさらされること、つまり人間が豊かかつ複雑にした「思考」の世界に1学期だけでも身を委ねることで、より積極的かつ批判精神をもった社員になれるかもしれない。

ケン・リュウが2017年に『Nature』誌に書いたように、「サイエンスフィクションは未来を知る手がかりとしてはあまり役に立たないが、絶えず変化を続ける世界で人間らしくいるための手段としては過小評価されている」のである。

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