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AIは「わかる」が何かは「わからない」--松原仁、人工知能の本質をかく語る

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 AIが全知全能になれないシンプルな理由

ではAIは宗教に代わる「神の代替」になるのだろうか。そして全知全能の神に近づくのだろうか。実は松原は、AIが全能の神になるのは難しいと考えている。そこにはAIにおける「フレーム問題」が横たわるからだ。

フレーム問題とは、ある行為をコンピュータにプログラムするとき、「その行為によって変化しないこと」をすべて記述しようとすると計算量が爆発的に増えてしまい、結果としてその行為を行うことができなくなるという問題だ。例えば人の場合は、何らかの行動をする時、必要な情報だけを「枠(フレーム)」で囲い、適切に用いることができる。松原の著作『AIに心は宿るのか』ではこう説明する。

 例えばこれから電話をかけようとする時、スマートフォンの扱い方や、相手に合わせた言葉づかいなどの情報を自然と用いることができます。走り幅跳びの身体の動きで机上のスマートフォンに走っていこうとはしないし、スマートフォンで連絡先を調べる時、目玉焼きを焼くような手つきで行うことはしません。つまり人間は時と場合に合わせての情報の「あたり」をつけて行動することができる。しかし、AI、コンピュータにはそれができない。できないというより、あたりをつけて行動するようにプログラミングすることが難しい。

(中略)その一方で私たち人間は、情報をすべて参照することができない「部分情報問題」を解くことが得意です。例えば、私とあなたが話をしようとする時、たとえ会ったことがなくても、お互いのことを知らなくても(部分情報)、最低限の話をすることができますよね? 年齢や趣味趣向がわからなくても(不確定)、見た目から年齢を予想したり、話し方から趣味趣向を推測したりして、あたりさわりのない話をして(非ゼロ和)、時間を過ごすことができる。AIはこの部分情報問題を解くことが非常に苦手です。

(中略)AIに部分情報問題を解けるようにするために必要なことが、身体を与えることなのです。(中略)私たちはフレーム問題に直面することなく、多少のミスはするけれど「なんとなく」うまくやっていくことができる。(中略)AIは万能に見えますが、人間のような知性の柔軟性をもち、人並みになるには、有限な身体が必要なのだと考えます。

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