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“最初の天下人”三好長慶の櫓跡か 権威誇示する山城の仕組み

 戦国武将、三好長慶(ながよし、1522~64年)が居城したとされる芥川(あくたがわ)山城跡(大阪府高槻市)で、瓦質のタイルを並べた建物跡が見つかったと市立埋蔵文化財調査センターが発表した。大阪平野を一望できる高台にあり、櫓(やぐら)として使われていた可能性がある。また、茶碗(ちゃわん)やすずりなどの遺物も多数出土。織田信長に先んじて畿内を制した長慶が、山城を政務や生活の拠点としながら、権威を示したことが推測されるという。

 芥川山城は、1516年までに築かれた摂津国最大の山城。北、西、南の三方を摂津峡に囲まれ、天然の城塞ともいわれた。

三好長慶の肖像(京都大学総合博物館所蔵)
三好長慶の肖像(京都大学総合博物館所蔵)
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 高槻市は昨年11~12月、主郭(本丸)南側の約60平方メートルを発掘調査。東西約4・2メートル、南北約4・2メートルにわたって、「●(土へんに專=せん)」とよばれる瓦質のタイルが、柱の礎石などの周りを囲むように整然と並べられているのを見つけた。同センターは長慶が居城した時代に整備されたと判断した。

 規模や形状から、米や財物などを蓄えるための土蔵だったとみられる。江戸時代の城郭では蔵が櫓の役割を備えていたことなどから、同センターは「見つかったのは蔵だが、大阪平野を一望できる場所にあることから、城の櫓として使われていたのではないか。長慶が平野に住む住民らに権力を見せつけようとしたのでは」とする。

発掘調査で発見された蔵とみられる跡地。大阪平野を一望できる場所にある=大阪府高槻市(市提供)
発掘調査で発見された蔵とみられる跡地。大阪平野を一望できる場所にある=大阪府高槻市(市提供)
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 近年、信長に先駆けた天下人という評価も出て注目される長慶。芥川山城には室町幕府を没落させた後の1553年に入城し、60年に隠居して飯盛山城(大阪府大東市、四條畷市)に移るまで約7年間、居城したとされる。

 今回の発掘では、縁(ふち)にすすが付着した素焼きの灯明(とうみょう)皿や天目茶碗、石製のすずり、すり鉢などの遺物200点以上も出土。城内では政務だけでなく連歌会などの催しも行われ、長慶や家臣が生活拠点としていたことも裏づけるという。

芥川山城跡の発掘調査で出土した硯(すずり)。穴が開いた硯は矢の先を研いだのではないかという見方もある=大阪府高槻市の市立しろあと歴史館(前川純一郎撮影)
芥川山城跡の発掘調査で出土した硯(すずり)。穴が開いた硯は矢の先を研いだのではないかという見方もある=大阪府高槻市の市立しろあと歴史館(前川純一郎撮影)
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 滋賀県立大の中井均教授(城郭史)は「芥川山城跡は織田信長らが天守閣を構える前の典型的な山城を知る上で貴重な遺跡。従来、山城は戦のときだけに使用し、政務や生活は山麓で行うと考えられていたが、今回出土した遺物は、長慶が山上で生活していたことを示す貴重な資料となる」と話す。その上で、当時権勢を誇った長慶に従わざるをえなかった室町幕府の役人や公家たちが「長慶に会うためにわざわざ山を登ったのだろう」と推測。「山城は権力の誇示に役立ったのでは」と指摘している。

 出土した資料や発掘調査の様子などは30日から、高槻市立しろあと歴史館で開催される「芥川山城跡 発掘調査速報展」で紹介される。3月28日まで。月曜と2月24日休館。

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