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【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一】(147)衝撃の4・29 激突事故…認められたホームイン

フェンスに激突し意識不明の佐野。右は叫ぶ池辺=昭和52年4月29日、川崎球場
フェンスに激突し意識不明の佐野。右は叫ぶ池辺=昭和52年4月29日、川崎球場

 昭和52年シーズン、序盤戦は南海、近鉄、阪急の〝関西私鉄3社〟が熾烈(しれつ)な首位争いを演じた。

 4月29日、大阪球場では首位・南海と2位・近鉄が対戦。近鉄が4-2で快勝し7連勝で南海と並んだ。

 「ウチはいま乗っとる。少しペースは速いが、並んだ以上は駆け抜けるだけや」と西本幸雄監督の鼻息も荒い。阪急も2ゲーム差の3位につけていた。

 セ・リーグは4月に15勝5敗と飛び出した巨人を2位の阪神が追いかける展開。その阪神にアクシデントが襲った。

◇4月29日 川崎球場

阪神 000 400 030=7

大洋 100 002 031=7

(神)江本、山本-田淵

(洋)高橋、小谷、田村-福嶋

【本】佐野⑤(高橋)山下⑥(江本)ブリーデン⑪(小谷)松原⑧(江本)

 事故は7-6と阪神1点リードの九回裏に起こった。1死一塁で大洋・清水の放った左翼後方の打球を、背走して追った佐野がジャンピングキャッチ。そのままコンクリート製のフェンスへ頭から激突したのである。

 佐野はボールを握ったまま倒れた。全身が痙攣(けいれん)を起こし、白目をむいて口から泡を吹いている。左頭部から血が流れ出ていた。中堅から駆け付けた池辺が叫ぶ。

 「大変や! タンカ、タンカや!」

 グラウンドから救急車で病院に搬送され緊急手術を受けた。診断は頭の骨に縦に8センチのひびが入る「頭蓋骨線状骨折」。術後に意識は回復したものの、首筋の神経も痛めており数週間の絶対安静が必要とされた。この事故を契機に全国の球場のフェンスにラバーが取り付けられるようになった。

 大混乱の中で大洋の走者・野口がタッチアップ。一塁から一気にホームインしていた。野球ルールには『突発事故の場合には、審判はプレーを中断しなければならない』とあり、吉田義男監督は「ホームインは無効」と主張した。だが、抗議は認められなかった。

 「あの場合、走っている間はインプレー。走者が止まらない限り、審判はタイムをかけられない。したがって大洋の1点はルール上、認めるほかないんです」と平光球審。7-7の引き分けとなったのである。           (敬称略)

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