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関西財界きっての論客 東京一極集中を憂う 元関経連、住友電工会長 川上哲郎氏

 川上哲郎氏
 川上哲郎氏

 住友電気工業社長、関西経済連合会会長などを歴任し、9日死去した川上哲郎氏が関西経済連合会の第10代会長に決まったのは平成6年、65歳のときだった。財界の若返りを期待されての登板。関西財界きっての論客といわれた川上氏は当時“ニューリーダー”として注目を集めた。就任時のいきさつから運営には苦心したが、在任中は阪神大震災の復興支援などに注力。一線を退いた後も東京一極集中を憂え、関西の発展に心を砕いた。

 東京生まれの東京育ち。一橋大学でゼミの教授に勧められるまま住友電工に入り、まったくなじみのなかった大阪に来た。「別の内定者がいたのだが入社できなくなり、私にまわってきた。彼の代理で入社したんです」と笑っていた姿が印象に残る。

 関経連会長になったのも「青天の霹靂」。当時会長の宇野収氏は、本命視されていた関西電力会長の小林庄一郎氏でなく、川上氏を指名。引き受けると、これに反発した有力企業が副会長に首脳級の派遣をしぶるなど「軽量内閣」などと揶揄(やゆ)された。

 当時の関係者によると、通常、複数の副会長も同席する定例記者会見に1人で臨む姿も珍しくなかったという。ただ、表面上は周囲の“雑音”を気にせず、淡々と自らのスタイルを貫いた。関係者は「在任中は重要な案件が多かった。雑音にかまう暇はなかったのでは」と推測する。

 なかでも、自らも住む神戸市を襲った阪神大震災では、政府の阪神・淡路復興委員会の委員も務め、復興の議論をリードした。自治体と共同で、被災地での税制優遇や規制緩和を行う「特区」の設置を国に提言。自治体主導の復興を訴えた。実現はしなかったが、関経連関係者は「その後の特区や規制緩和を先取りする発想。官から民へ、地方分権の拡大に強くこだわっていた」と話す。

 自身も被災時は給水車の列に並んだ。被災地の目線をもち続けた。

 関経連会長はわずか3年と短命に終わった。こじれる要因ともなった関電との関係だが「小林さんともよく話していた」とさばさばしていた。

 晩年のインタビューでは「関西企業もかつては地域を何とかしようという意気込みがあったが、これほどまでの東京一極集中は異常。新たな産業が関西で生まれてほしい」と関西の奮起を促していた。(内山智彦、巽尚之)

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