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追悼:坂田藤十郎さん 5時間語り続けた上方歌舞伎への思い忘れない 編集委員・亀岡典子

夫婦仲良く宝が池公園を散策する坂田藤十郎、扇千景夫妻=平成30年11月、京都市左京区の宝が池公園(寺口純平撮影)
夫婦仲良く宝が池公園を散策する坂田藤十郎、扇千景夫妻=平成30年11月、京都市左京区の宝が池公園(寺口純平撮影)
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 坂田藤十郎は生涯に3度、大きな襲名を行っている。その都度、華やかに、革新的に歌舞伎を追求してきた。

 最初の名前である二代目中村扇雀(せんじゃく)時代の昭和28年、「曽根崎心中」のお初で“扇雀ブーム”を巻き起こす。そして平成2年、成駒家(なりこまや)代々の名前で上方歌舞伎の大名跡、中村鴈治郎を三代目として襲名。披露興行では初代以来の当たり役、「河庄(かわしょう)」の治兵衛(じへい)、「吉田屋」の伊左衛門(いざえもん)など優美な上方和事(わごと)の役どころを体現してみせた。

 最後の襲名は平成17年。すでに73歳になっていたが、江戸時代の上方歌舞伎の名優、坂田藤十郎の名跡を231年ぶりに復活、襲名した。

 驚かされたのは襲名披露の役どころであった。通常、襲名では家の芸を中心に演じるものだが、藤十郎は、「曽根崎心中」のお初をはじめ、初代藤十郎が演じたという「夕霧名残(ゆうぎりなごり)の正月」を復活、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の女形(おんながた)の最高の大役、政岡(まさおか)など原作にのっとって自身の解釈で作り上げた役を並べたのである。

 お家騒動のなかで若君を守る乳人(めのと)、政岡では、「私の政岡は上方の女形に人形浄瑠璃のやり方をまじえた強い男勝りの女性。現代でいうキャリアウーマンかもしれない。周りは敵ばかりという状況で日々闘っている」と、現代女性の共感を得る女性像を作り上げた。

 「私の芸が藤十郎の芸になっていく。考古学のような話ですが、千年もたつと初代の芸とともに私の芸がそのまま藤十郎の芸として記録されるかもしれない」

 当時、いかにも藤十郎らしい言葉で襲名の意義を語っていたのを思い出す。それほどに、「坂田藤十郎」の名跡をもう一度世に出すことは念願であった。

 上方歌舞伎は昭和20年代後半から低迷期に入っていく。名優の相次ぐ死、娯楽の多様化、経済や文化の東京一極集中などさまざまな要因があった。

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