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坂田藤十郎さん死去 人生、上方歌舞伎の再興とともに

高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式典で、受賞者を代表して謝辞を述べた坂田藤十郎さん=平成20年
高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式典で、受賞者を代表して謝辞を述べた坂田藤十郎さん=平成20年
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 最後まで、若々しく、瑞々(みずみず)しく、芳醇(ほうじゅん)な舞台であった。驚異的な若さは、畢生の当たり役「曽根崎心中」の19歳の遊女、お初を80代で演じたときもまったく色あせてはいなかった。それどころか、徳兵衛との恋に一途に命を燃やし、駆け抜けてゆく純愛は、19歳、そのものに見えた。

 藤十郎さんは戦後、お初とともに時代を代表するスターとなり、生涯老け役を演じず、華やかに舞台を去っていった。その人生は、上方歌舞伎の再興とともにあった。

 平成17年、藤十郎さんは、祖父が築いた「中村鴈治郎」という大名跡から、江戸時代、京阪で活躍した上方和事芸の創始者、「坂田藤十郎」の名跡を四代目として襲名した。歴史上の伝説的な名前を231年ぶりに復活させたのである。鴈治郎という名前自体、上方歌舞伎の大名跡であったが、それよりも「坂田藤十郎」を選んだのには、藤十郎さんの強い信念があった。

 「上方歌舞伎を再興する上で旗印となるような名前があったほうがいい」。そして「初代藤十郎さんは上方和事という芸をつくった人。その名跡を襲名するからには、『おまえも自分の芸を創りなさい』と、初代にいわれているような気がします」。その言葉通り、藤十郎さんは、近松の原作にのっとった舞台や、原作である文楽のやり方を取り入れるなど精力的に自身の歌舞伎を作り出していく。それが上方歌舞伎の活性化につながっていったのだ。

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