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【一聞百見】「藤井棋聖レベルは普通」 糸谷哲郎八段が予測する「アフター藤井」の世界

 広島での少年時代は藤井ブームに勝るとも劣らない羽生ブームと重なっている。5歳のころ、将棋のルールを父に教えてもらうと数週間ほどで負かした。将棋道場に通っていた平成8年、羽生さんが谷川浩司さんから王将を奪い、史上初の七冠独占を達成。同10年、糸谷さんは小学4年生でプロ棋士養成機関である奨励会に入会した。「親は将棋では大成しないと言って反対でした。1回くらいと妥協してもらって受験したら受かった」

 人生のギアも、自分で決めて入れてきたのだ。

■勝負師いまは知的競技者

 「いま養成機関である奨励会にいるプロのタマゴたちが、ひと昔、ふた昔前のプロ棋士と戦ったとすれば、恐らく勝つでしょう」と糸谷さんは言う。将棋そのものは同じでも、戦い方はどんどん変わっているのだという。「昔といまは知識が違いすぎますから。体系化された知恵がどんどん積みあがっている。例えば終盤力の向上。この局面は詰むが、これは詰まないということを、いまの棋士はパッと判断できるようになっています。将棋は進化し続けている」

平成29年、大阪大で修士課程修了証書を手に=大阪府豊中市の大阪大学
平成29年、大阪大で修士課程修了証書を手に=大阪府豊中市の大阪大学
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 奨励会はプロと認められる四段を目指す登竜門だ。糸谷さんは9歳から17歳までここで切磋琢磨(せっさたくま)した。「感覚でやっていたことに理論や道筋ができ、方法論が確立してきた。いまの奨励会の子たちは相当進んだことをしていますよ。積み重ねられた知見を学び、さらに独自の戦法を見いだすために研究する。学問に近い。いまの将棋は、学べる人に有利なのです」

 だからなのか、将棋や棋士がまとう印象は昔と随分変わった。高度成長期にはNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」(平成8~9年放送)が描いたように下町的な雰囲気が似合い、演歌にもよく歌われた。もっと昔には戦前の大阪の伝説的な棋士、坂田三吉のような無頼イメージもあっただろう。平成以降の棋士は上品な秀才色が強くなり、学習塾のCMにも現れた。

 「思考訓練に将棋はいいと思います。自分の弱点を調べて把握し、それを潰していくというトレーニングは、将棋以外にも応用できますからね」。糸谷さんはそう話し、米大リーグ・カブスのダルビッシュ有投手が、ツイッターでつぶやいた「練習は嘘をつく」という言葉をあげた。練習は嘘をつかないという常套(じょうとう)句に対し、頭を使って正しく鍛えないと練習しただけの自己満足にだまされるという戒めだ。「野球も素振り千回という時代じゃない。間違った素振りを続けていると下手なクセがつくかもしれない。将棋も数をこなせばいい、というものではない」

平成30年、王座戦本戦進出をかけ藤井聡太六段(当時)=左=と対戦する糸谷哲郎八段=大阪市福島区の関西将棋会館
平成30年、王座戦本戦進出をかけ藤井聡太六段(当時)=左=と対戦する糸谷哲郎八段=大阪市福島区の関西将棋会館
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 大阪大大学院で哲学を専攻したのは、マルクス経済学者だった祖父の影響が強く、「将棋に特化しないキャリアもあってよいのではないかと考えた」と話す。将棋との直接の関係はないものの、哲学を学んだおかげで「クリティカルシンキング(批判的思考)は得意になった」という。「自分の思考自体を改善の対象とし、なぜ自分はそう考えるのか、無意識のうちにある理由を探る。こういった取り組みにより、苦手だった長時間の将棋に合うように思考を変革することができました」

(次ページは)AI新時代にも…

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