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「追悼行事続けるのが使命」 紀伊半島豪雨 和歌山・那智勝浦の遺族会代表、岩渕さん

紀伊半島豪雨の翌年から追悼行事を続ける和歌山県那智勝浦町の遺族会代表、岩渕三千生さん
紀伊半島豪雨の翌年から追悼行事を続ける和歌山県那智勝浦町の遺族会代表、岩渕三千生さん

 平成23年の紀伊半島豪雨から9月で9年。28人が死亡し、1人が行方不明になった和歌山県那智勝浦町の遺族会代表、岩渕三千生(みちお)さん(59)=三重県紀宝町=は15歳のおいを亡くし、豪雨から約1カ月後に父も帰らぬ人となった。今年は新型コロナウイルスの影響で、24年から続く遺族会主催の追悼行事を縮小するが、「中止することは考えたことがない。どんなことがあっても続けていくことが使命」と話す。(張英壽)

 岩渕さんは23年9月4日午前3時ごろ、和歌山県に隣接する三重県紀宝町の自宅で、猛烈に降り続いた雨で家の前の水位が増えてきたことに気づいた。5時ごろには自宅が床上浸水した。

 約20キロ離れた和歌山県側の那智勝浦町井関地区にある実家が心配だったが、県境を結ぶ橋が通行止めになっていた。昼ごろ解除されたことを知り、水につかった自家用車で出発。エンジンがかかるか不安だったが、車は動いてくれた。

 雨の影響で車は途中までしか通れなかったため、約2キロを徒歩で進み、実家の近くまで来たところ、「とんでもない光景が目に入ってきた」と振り返る。

 「がれきが道路をふさいで電柱も倒れ、流されてきたいくつもの岩や車が転がっていた」

 凄惨(せいさん)な状況の中、木が2階に突き刺さった実家が見えたが、がれきなどでたどりつけない。そこで地元の建設業関係者が用意したパワーショベルのアーム部分の先端に体を乗せて自宅まで行くと、1階はすべてが流されていた。

 実家の両親は親戚の家に避難していたが、実家に暮らしていた当時中学3年の15歳だったおいは4日未明の土石流で行方不明になっていた。約1週間後、地区内で遺体が発見された。

 おいは地域の野球チームのメンバーだったが、土石流で流されたのか、ユニホームとグローブは家を探しても出てこなかった。

 豪雨から1カ月以上たった10月12日。井関地区のがれきはほとんど撤去されたが、唯一残っている場所があった。父は重機でそのがれきを撤去するために出かけたが、昼食の時間になっても仮住まいの家に戻らなかった。不審に思った岩渕さんが様子を見にいくと、すでに息絶えていたという。死因は心不全。76歳だった。おいの死によって心労が重なっていたとみられる。最後のがれきからも、おいのユニホームとグローブは見つからなかった。

 「災害を風化させない」と、翌24年1月、岩渕さんが発起人・代表となり、那智勝浦町の遺族会を結成した。この年の9月4日から、土石流が起き始めとされる午前1時から2時間、井関地区の被災地でキャンドルを灯して追悼する行事を続けてきた。

 今年は新型コロナウイルス感染防止のため、やむなく規模を縮小、30分間の開催とした。それでも「中止」という選択肢は当初からなかったという。

 「人間は物事を忘れてしまうものだが、紀伊半島豪雨を忘れさせてはだめだ」と岩渕さん。「今夏も九州豪雨で大きな被害が出たが、災害は追悼行事を続けることで記憶を残し、対策を立てられる。キャンドル行事は縮小してでも続けていかないといけない」と強い口調で訴える。

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