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【勇気の系譜】杉原千畝さん 命のビザ発給 貫いた信念

 リトアニアでの出来事は黙して語らず、外交の表舞台から姿を消した杉原。商社マンとして単身ロシアに渡った。

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 モスクワと日本を往復する生活を送る「センポ・スギハラ」に、光を当てたのは、ユダヤ人だった。戦後、ユダヤ国家として誕生したイスラエル。建国間もない国の中枢を担っていた人々の中には、杉原のビザを手に生き延びた「サバイバー(生存者)」たちがいた。69年、イスラエルに招かれた杉原を撮影した写真が残っている。握手を交わすのは、同国の宗教大臣となっていたゾラフ・バルハフティック。あの日、カウナスで面会した一人だった。

 祖父は彼らの先の人生に希望を託したんだと思います。生き延びた人が各地で活躍する、そんな未来を望んだ。祖父がまいた種が、実を結んだんです

 杉原は昭和61年、86歳でこの世を去った。「人のために尽くしたい」が晩年までの口癖だった。まどかはいま、杉原を顕彰するNPOの副理事長として、世界中のサバイバーや子孫と交流を続ける。

 社会に流されることなく、自分が正しいと思ったことをした。訪ねてきてくれるサバイバーや子孫と会うたびに、祖父がしたことは間違いじゃなかったと感じます

 80年前、手書きのビザに込められた思いは、世界各地で新たな人生を紡ぐその子孫たちに受け継がれている。

 杉原千畝(すぎはら・ちうね) 1900(明治33)年、岐阜県生まれ。1919(大正8)年に外務省の公費留学生として満州に渡り、ロシア語を習得。外交官となり、リトアニアの領事代理だった40年夏、「命のビザ」を発給して多くのユダヤ人の命を救った。その功績から85年にイスラエルから「ヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)」を受けた。86(昭和61)年、86歳で死去した。戦後は外務省を追われたが、日本政府は平成12年、公式に杉原の名誉を回復した。

=敬称略

(鈴木俊輔)

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