PR

産経WEST 産経WEST

【勇気の系譜】杉原千畝さん 命のビザ発給 貫いた信念

 イスラエリは83年、67歳でその生涯を終えた。ビザは今もグリーンバーグ家に大切に保管されている。

□  □  □

 親戚の店に買い物に来ていた彼と出会ったのは39年12月、ハヌカ(ユダヤ教の祭り)の直前。流暢(りゅうちょう)なロシア語で、笑顔で話しかけてくれました

 イスラエル在住のソリー・ガノール(92)は、リトアニアで過ごした12歳のときの記憶を呼び起こす。

 自宅でのハヌカのパーティーに招待しました。私が切手集めが趣味だというと「日本の切手をあげるから今度領事館においで」と言ってくれて、遊びに行ったこともあります

 各地に侵攻するドイツと、参戦の機会をうかがう大国ソ連。欧州の情勢は、刻一刻と変化していた。独ソ間にある小国リトアニアでは、笑顔で食卓を囲める生活がいずれ戦火に見舞われることは明らかだった。

 スギハラさんは、戦争がユダヤ人にとって危険な方向に進むことがわかっていた。私の父にも「早く逃げるように」と言ってくれていましたが、ポーランドから逃げてきた人と違い、リトアニアに住むユダヤ人は危機感がなかった

 40年9月5日、杉原一家はカウナスを離れる。リトアニアにとどまったガノール家には、死と隣り合わせの過酷な日々が訪れた。ガノールにとって、杉原との時間は、数少ない美しい記憶として刻まれている。

 彼はユダヤ人にとってのヒーロー。もう一度だけ会って話したかったが、かなわなかった

 ドイツによって命を奪われたユダヤ人は欧州で推計600万人。ドイツの同盟国である日本の外交官として、ユダヤ人にビザを発給するという独自の決断は、国や同盟国に背く行為だった。それでも杉原は、6千人もの命の重みを選んだ。

 イスラエルにあるホロコースト記念館「ヤド・バシェム」。ユダヤ人を救った人々を顕彰する森の中に、日本人でただ一人、杉原の名が刻まれている。

□  □  □

 杉原は2千枚とも3千枚ともいわれるビザを発給したが、それは外務省の命に背き、たった一人で決断したものだった。

 40年7月18日。いつもと変わらぬ曇天の空の下で、多くのユダヤ人の、そして杉原自身の人生を変える日々は始まった。杉原は晩年、手記を残している。

続きを読む

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ