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【勇気の系譜】杉原千畝さん 命のビザ発給 貫いた信念

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元リトアニア領事代理の杉原千畝(NPO杉原千畝命のビザ提供)
元リトアニア領事代理の杉原千畝(NPO杉原千畝命のビザ提供)
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 狂気が世界を覆った時代があった。1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻をきっかけに始まった2度目の世界大戦。空襲は市民の日常を焼き尽くし、未来ある若者は時に無謀な戦闘を強いられ、戦火に散った。そうした中で起こったユダヤ人へのホロコースト(大量虐殺)。多くが傍観者となったものの、職務よりも人命を優先したのが、日本人外交官の杉原千畝だった。

 ユダヤ人への理不尽な憎悪が欧州をむしばみ始めていた40年夏。当時リトアニアの首都だったカウナスの日本領事館で、領事代理の杉原は無心でペンを走らせていた。窓の外には、不安げな目をしたユダヤ人たちが待っていた。

 暗闇の中にいたユダヤ人にとって、日本通過ビザだけが一筋の光でした

 故郷のポーランドを追われ、領事館を訪れた一人だったイスラエリ・グリーンバーグの息子、ナホム(72)が語る。人種だけを理由に土地から追い出され、命を奪われていったユダヤ人。ドイツの支配が迫る欧州を脱出するしか、生きる道はない。彼らは、極東の島国にいちるの望みを託した。

 『ユダヤ人が集まっている』という噂を頼りに父はカウナスを目指した。家族や友人を亡くし、自身も軍隊に捕まり数週間、身動きができなかったこともあったそうです

 24歳だったイスラエリは、死線をくぐってたどり着いたカウナスで、後に妻となるロブサと出会う。逃避行は半年を越えていた。ロブサはすでにイスラエルに向かう手はずを整えており、2人は別々の道を逃げなければならなかった。

 父は領事館前で夜を明かした。ビザが出てうれしかったと思いますが、不安も大きかった。金も、無事に逃げられる保証も、どこにもなかったのです

 ビザが発給されたのは40年8月7日。発給リストの1359番目に名前が記されたイスラエリは、ビザと、ロブサが貴金属などを売って用立てた金を握り、ソ連を横断。翌年3月、福井・敦賀に上陸した。

 日本は天国でした。世界中が反ユダヤの時代に、日本だけがユダヤ人をケアしてくれた

 日本を離れ、イスラエルに着いたのは、ビザを受け取って1年後。再会を果たした2人は結婚し、ナホムら2人の子宝に恵まれた。

 ビザの話は晩年になって、テレビ局の取材を受けたときに初めて聞かされました。苦労はしましたが、父は幸せでした。スギハラさんのビザは、多くの人の人生を変えたのです

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