PR

産経WEST 産経WEST

九州豪雨1カ月 被災地なお「遠い」日常

球磨川の支流、川内川(右)の濁流が流れ込んだ熊本県球磨村神瀬地区。上は7月6日、下は8月2日撮影(ドローン使用、沢野貴信撮影)
球磨川の支流、川内川(右)の濁流が流れ込んだ熊本県球磨村神瀬地区。上は7月6日、下は8月2日撮影(ドローン使用、沢野貴信撮影)
その他の写真を見る(1/2枚)

 記録的な豪雨が人々の暮らしを襲った九州豪雨から4日で1カ月。甚大な被害が出た熊本県内では、各地で土砂崩れが発生し、氾濫した河川がいくつもの集落をのみ込んだ。被災地では住民らが土砂の撤去作業を続けているが、まだがれきや土砂に埋もれている場所も残る。灼熱(しゃくねつ)の猛暑の中、気が遠くなるような作業の傍らには、積み上げられた災害ごみの山…。現場を歩き、人々の声を聞いた。(中井芳野)

 ■2度浸水した神瀬地区

 泥やがれきが大量に積まれた住宅の横を抜け、騒がしいセミの鳴き声を背に階段を上ると、線香の香りが広がった。球磨(くま)川の氾濫で大きな被害が出た球磨村神瀬(こうのせ)地区の高台にたたずむ乗光(じょうこう)寺。本堂には泥がついた男性の遺影が飾られ、手を合わせる40代女性と中学1年の息子の姿があった。

 「お父さん、長く1人にしてごめんね。ここらはすっかり変わっちゃった」

 女性が優しそうな眼鏡姿の義父に語りかける。夫婦と子供の3人で暮らしていた親子が避難所から自宅へ戻ったのは約1カ月ぶり。あの日、自宅は1階天井まで浸水。家族は避難して無事で、遺影は泥だらけの仏間から見つかった。

 神瀬地区は7月4日の豪雨の後、24日に降った大雨で支流の川内川が増水し、再び泥水に覆われた。2度にわたる浸水と道路の寸断で、親子を含む多くの住民らは国道219号が通行可能になった27日まで、家に戻れなかったという。

 8月4日も、一部の住民が泥かき作業に追われた。照りつける太陽で、乾いたヘドロが強烈なにおいを放つが、断水が続いており、洗い流すこともできない。

 同地区に住む団体職員、大岩翼さん(35)は「今月生まれてくる娘と共にこの場所に住み続けたいが、かなわないかも」と話した。

 ■時が止まった支所

 一部寸断されている国道219号を迂回(うかい)し、土砂が崩れた跡が残る山道を車で約30分。球磨川沿いに八代市役所坂本支所が見える。集落ごと川にのみ込まれており、人の気配は全くない。

 支所1階は土砂に覆われていた。堆積した土砂はまだ水分を含んでおり、一歩踏み込むたびに長靴がずぶずぶとしずむ。柱にかかった時計は「6時10分」を指し、時間が止まったままのよう。7月3日夜から待機していた市職員が、防災無線で「危険が迫っています。高いところに避難してください」と町内に流したのは、4日午前4時ごろだった。

 道中、「道の駅坂本」の敷地内で、じっと球磨川を見つめる男性がいた。この地域で生まれ育った谷口國弘さん(75)。「知らない川になってしまったようで怖かった」とぽつり。今は穏やかな流れに目を細めながら「小さかころから鮎を取っては、夜には川にうつる月を見た。こぎゃんことになるとは。私にとって、球磨川は恵みの種だった」とつぶやいた。

 ■「ふるさとを取り戻す」

 住民は元の生活を取り戻そうと奮闘している。家屋約4500棟以上が床上・床下浸水するなどした人吉市では、住民同士が助け合い、災害ごみの撤去に乗り出し始めた。

 1日は早朝、地元住民ら約50人が集まり、道路に積まれたごみを次々とトラックの荷台に運び込んだ。だが人手不足は深刻で、きれいになったのは一部の道路だけ。ごみの仮置き場へ運ぶのも一苦労だ。

 それでも住民たちは「自分たちの手で人吉を取り戻す」と前を向く。「1年後、5年後でもいい。大好きな美しい姿に戻った人吉や、球磨を見に来て」。同市立第一中学に避難している球磨村の永椎(ながしい)美穂子さん(64)に言われ、「必ず来ます」と約束した。

関連トピックス

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ