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天神祭、千年守られる神事 新選組、コレラ、コロナの難乗り越え

新選組が残した回章返却の受領書(個人蔵)
新選組が残した回章返却の受領書(個人蔵)
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 平安時代の天暦5(951)年に始まった大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭は今年、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、毎年100万人を超える人出のある花火や船渡御(ふなとぎょ)を中止した。歴史的には今年同様、戦乱や火災、疫病、不況などの理由で渡御の中止と再開は繰り返され、一方で、疫病退散を祈る神事は、どんな時も続けられてきた。今年も神事は執り行う。

 渡御などの大々的な祭事はできなくても、神事は連綿と続けてきたことを物語る資料がある。

 「慶長20年に天満宮から橋本清太夫(せいだゆう)さんへ出したこんな手紙が残っていますので、ちょっと読みますね」

 そういって大阪天満宮文化研究所の高島幸次研究員は机の上に資料を広げた。

 大坂夏の陣が起きた慶長20(1615)年、大阪天満宮は兵火を逃れるため、御神体を移した神輿(みこし)を担いで遠く離れた吹田村の橋本邸を目指した。

 旗本竹中家を主家とし代々庄屋を務めた家柄で、村で1、2を争う大地主だった橋本家。「手紙には『社中家内老若男女とも残らず』とありますし、かなり大きなお屋敷だったと思うんですよ」と高島さん。

 神社が復興するまでの数年間滞在し、毎年、そこで神事も行われていた。地元では“天神屋敷”と呼ばれていたと伝わり、橋本家の檀家寺(だんかでら)だった正福寺(大阪府吹田市)には、一族が建てた「天神境内」の石碑が残されている。

■「祭りやって」と新選組

 また慶応元(1865)年にも特筆すべき出来事がある。将軍・徳川家茂(いえもち)が大坂城を拠点に長州征伐を指揮したさい、大坂の神社は祭りを自粛し天神祭も渡御を中止した。そこで、新選組は各神社に対して、旅宿にしていた大阪市天王寺区の寺院へ来るようにとの回章を送っている。回章は今でいうところの回覧板だ。

 最後に回覧した同宮が回章を返却した際の受領書が、大阪歴史博物館(大阪市中央区)で保管されている。さらに、同年6月16日の同宮の日録(社務日誌)には、同宮が寺院に出向いた際の新選組とのやり取りの記述があり、新選組が警備を申し出て天神祭の執行を促したが、中止の決定は変更されなかったことが書かれている。

 「新選組にすれば将軍も来ているのだし、いつもに増してにぎやかにやればいいものを警備まですると言っているのになぜやってくれないんだ、という感じですかね」。同館の澤井浩一学芸課長はこう解説する。

 結局、大政奉還を挟んで明治3年まで渡御は中止、本殿での神事のみ行われた。中止の理由について同宮は「神輿の修理」などとしているが、高島研究員は「どうも神社間で示し合わせて中止にしたみたいです。大阪ってわりと徳川嫌いですから。なんで徳川の将軍や武士を喜ばせなあかんねんというのはあったでしょうね」と皮肉る。「太閤びいき」の大阪人の一端がうかがえる興味深いエピソードだ。

■何事も神事に影響なし

 そんな新選組との小競り合いがある一方で、当時旧暦の6月24、25日に行われていた祭り当日の日誌には「夕、宵宮御神事例年の如し」「朝、御神事例年の如し」とある。またコレラが流行した明治12年は、何度も延期になった上、夏秋合祭となり、天神祭は神事のみ行っている。

 「これらの例からわかるのは、火災の場合は御神体を持ち出して境外で神事を行い、疫病や世情不安の場合は日程をずらしてでも本殿で神事を行っていること」と高島研究員は指摘。つまりどんな状況であっても神事がなくなることはあり得ないという。

 寺井種治(たねはる)宮司も「医療が発達していない昔は本当に神頼みで、祭りには大きな意味がありました。千年以上も前から疫病や天変地異を鎮めるために、人々が祈りをささげてきた天神祭の火を消すことは絶対にできません」と力を込める。

 新型コロナでさまざまな祭事の中止を余儀なくされた今年も、神事「本宮祭」を執り行い、さらにライブ配信する。「神聖な気持ちで手を合わせて自分の身を振り返り、あらゆるものに感謝する。神社がそういう場所であることを今年の天神祭で見直してほしい」と願っている。(北村博子)

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