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【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一】(18)秀さんの後悔 南海移籍「王監督に不義理…」

6月3日の阪神戦でホームランを放ち、クロマティ-とハイタッチする加藤=昭和61年
6月3日の阪神戦でホームランを放ち、クロマティ-とハイタッチする加藤=昭和61年

 巨人に移籍した加藤秀司は燃えていた。

 「中畑との競争や。負けたらオレのポジションはない。試合に出れるか出られへんか。やりがいある」。だが、現実は厳しかった。中畑清からポジションを奪えず「代打」にあまんじ、わずか68試合に出場しただけ。打率・219、3本塁打、13打点に終わった。

 昭和61年は王貞治監督の3年目。3位、3位と続いていただけに、何が何でも優勝しなければ-と必死になっていた。

 「練習でも厳しかったな。20代の選手もベテランも関係なし。まったく〝優遇〟もなしや」

 王監督は「オレができたんだから、君たちにできないわけがない。こうやって打つんだ」とよく自ら打撃ケージに入り、手本を見せたという。

 「けど、それは王さんやからできるんで、みんな自信なくすから勘弁して…と思ったな」

 憧れて入った巨人だが、加藤が思っていた球団ではなかった。厳しい生活規律。他の球団では許されても巨人ではダメなことがいくつもあった。マスコミとの付き合い方も指導されたという。担当記者にも序列が付けられており、話してもいい記者とそうでない記者に区別されていた。

 「ホンマはそれが正解なんやろうけど、オレには合わんかった」

 2000本安打にあと13本と迫っていたが、加藤は「引退」を決意した。王監督から「それはもったいない。ロッテに移籍の話もあるし、考え直しては」と勧められたが「いや、もう諦めました。引退します」ときっぱりと断った。そして、恩師と仰ぐ西本幸雄へ報告するため西本宅を訪ねた。

 「引退? 2000本安打はどうするんや。あと13本やろ。諦めた? あかん、秀よ、もったいない。もったいな過ぎるで。ちょっと待っとれ」

 奥へ引っ込んだ西本はすぐさま南海の杉浦忠監督に電話し、加藤の移籍を決めてしまった。

 「西本さんの話を断るわけにはいかんかった。王監督には不義理をしてしもた。オレの南海移籍は王さんの顔に泥を塗ったことになるからな」

 --なんで、きちんと王さんに頭を下げなかったんです?

 「そこや。オレが悔いとるんは…」

 加藤は巨人を自由契約となって南海に移籍した。秀さんの心にいまでも残る〝後悔〟である。

(敬称略)

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