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豊臣秀吉最後の城、幻の「京都新城」跡が京都仙洞御所から初出土 石垣や金箔瓦も

京都仙洞御所から出土した京都新城の石垣と堀跡=12日午後、京都市上京区の京都御苑内
京都仙洞御所から出土した京都新城の石垣と堀跡=12日午後、京都市上京区の京都御苑内
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 豊臣秀吉が最晩年の16世紀末に築いた城郭「京都新城(しんじょう)」のものとみられる石垣の一部が京都御苑(京都市上京区)内の京都仙洞御所から出土したと12日、市埋蔵文化財研究所が発表した。秀吉が生涯最後に築いた城として知られるが、正式名もなく、関連遺構が出土したのは今回が初めて。同研究所は「実態解明に向けて、ようやく定点を得た」と評価している。

 同城は慶長2(1597)年、御所の南東に、東西400メートル、南北800メートルにわたって築かれたとされている。秀吉の死後は正室、高台院(北政所)の屋敷となり、高台院が寛永元(1624)年に亡くなると徳川幕府が解体、同所に後水尾上皇の仙洞御所を造営した。

 今回、消火設備の設置に伴い、仙洞御所の一部125平方メートルを調査したところ、石垣が南北8メートルにわたり出土した。加工していない石を積み上げる野面(のづら)積みと呼ばれる工法で3、4段積まれた石垣の周辺からは、豊臣家の家紋「桐」などが入った大量の金箔瓦(きんぱくがわら)の破片が出土した。

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 調査の結果、石垣は京都新城の堀の一部だったと断定。金箔瓦の出土量から城を囲う堀の西側の側壁とみられる。堀の幅が推定20メートルになることも確認された。

 日本の城郭に詳しい中井均・滋賀県立大教授(日本考古学)は「単なる屋敷か本格的な城なのかもわからなかったが大規模な堀と天守を持つ城の可能性が高いことがわかった。高松塚古墳級の発見ではないか」としている。

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